トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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ある東大生の遺書

 彼の名前を仮にN君としておこう。

1977年1月17日午後11時頃、東京大学本郷キャンパスの三四郎池の藤棚で、法学部4年生のN君は首をつった。N君のジャンパーにはレポート用紙3枚に長文の遺書が書かれており、それには次のようなことが書いてあった。

{以下の理由により自殺することにします。\\生きる意味をV、現在生きることの\\値打ちをvtとおくと、\\\displaystyle V=\int_b^dvt\ dt\ (bは出生時、dは死亡時)\\また、Sを自己満足、Qを他人が本人に\\与える福祉、Eは人間以外のものに与える\\福祉とおくと、\\\displaystyle vt=V(St,Qt,Et)\\(近似的に\displaystyle vt=St+Qt+Etとおいて\\大過ないと考えられる)そして、\\\displaystyle E=\int_b^dEt\ dt\ はほとんどの場合、大きな\\負となる。\\そこで多くの人の場合、\\\displaystyle Q=\int_b^dQt\ dt\ \ \ \ S=\int_b^dSt\ dt\\とくに後者Sのプラスの値によって、Eの\\マイナスを正当化できる。\\私の場合、現在をt_0とおくと、\\\displaystyle \int_b^{t_0}vt\ dt\lt0のため\\\displaystyle \int_{t_0}^dvt\ dt \geqq \int_b^{t_0}vt\ dt\\としなければならないと考える。\\いままで生きてきましたが、今後Eの値の\\変化は少ないとしても、S、Qの急激な低下\\により、\\\displaystyle \int_{t_0}^{d_0}vt\ dt\lt0\ (d_0は自然死の時期となる)\\となることが確実なので、\\\displaystyle V_{t_0}=\int_b^{t_0}vt\ dt,\ V_{d_0}=\int_b^{d_0}vt\ dt\\とするとき、\\\displaystyle 0\gt V_{t_0}\gt V_{d_0}\\と考えられる。本当は、V_b=0を選択\\すべきであった。人間にはV_bは選択の余地\\の外であり、\\現在のV_{t_0}とV_{d_0}の選択の余地の間では、\\V_{t_0}を選択。以上が私の見解であります……。}  

一見すると難解なようだが、N君の数式は高校で習うレベルの積分式で、つまるところ"この先自然死するまで生きてても生きる意味は今より悪くなるだけだ(0>Vt0>Vd0)"ということが言いたいだけである。司法試験に落ちたことが契機になったようだ。

このニュースに接した映画評論家・岩崎昶は死の前年に上梓した自伝「映画が若かったときー明治・大正・昭和三代の記憶」で、N君の死に接してある種の感慨を覚えている。岩崎自身が東大OBなのもあるが、それ以前にN君の死は岩崎に、彼の母校・旧制第一高等学校(通称一高、東大教養学部の前身)の先輩であった藤村操の死を思わせたからだった。

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何らのオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にして悉す、曰く「不可解」、我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし、初めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを

1903年5月22日、藤村操は日光華厳の滝の傍らの大樹にこの「厳頭之感」を書き付け、身を投げた。岩崎が生まれたのはその翌年のことであったが、藤村の衝撃は岩崎が一高に進学してもなお昨日のことのように語り継がれていたという。

明治という時代は、青年が初めて個我というものに向き合うことを余儀なくされた時代でもあった。軍隊や鉄道や工場は国家がもたらしてくれた。だが真理や生の意味は自分でつかみ取らなければならなかった。煩悶する時間だけは手に余るほど持っていた日本の青年にとって個人を基底とする西洋哲学は、知的スノビスムの段階を超えて突き詰めていけば行くほど、自分を追い込むものであったのであろう。藤村操は「不可解」という結論を出さざるを得なかった。70年を超えるその命脈を、岩崎昶はN君に見た。

 

しかし、である。年間三万人が自ら命を絶つと言われる今の時代、その理由の大半は「健康(おそらくメンタルも含まれるのであろう)」と「経済」である。それにいじめを原因とした子供の痛ましい死を併せ考えると、哲学的自殺はそれこそが「不可解」と言わざるを得ないのだ。

 

N君の自殺に感慨を覚えた岩崎昶は、関東大震災東京大空襲で二度焼け野原になった東京を生き延び、ファシズムの嵐の中で弾圧を受けてなお生き抜いた人である。

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まむしの兄弟 恐喝三億円

「兄貴、3億の半分言うたらなんぼや?」
「アホウ、そないなこともわからんのけ。1500万やがな」

神戸・新開地の「一度食いついたら死んでも離さない」まむしことゴロ政(菅原文太)と勝(川地民夫)のチンピラコンビが暴れ回る「まむしの兄弟」シリーズの6作目「まむしの兄弟 恐喝(かつあげ)三億円」(鈴木則文監督・1973年東映)は、兄貴分・ゴロ政と弟分・勝のコミカルなやり取りと痛快な立ち回りに「母」という主題を加える。それは序盤、九州の刑務所を出所して神戸に帰ってきたゴロ政が、母の日のカーネーション配りの少女に出くわす場面から明らかになっている。お母さんがいる人は赤いカーネーション、いない人は白いカーネーションを。ゴロ政は白いカーネーションを買う。

 

*

 

いつもならムショに出迎えに来るはずの勝が来ないのを不審がったゴロ政は、勝が当たり屋に失敗して入院したことを知る。当たり屋の相手は神洋商会の香港商人・李陽徳(河津清三郎)の娘・麗花(堀越光恵)。ゴロ政と勝は、暴力団安武組組長・安武(渡辺文雄)と李の商談の場に乗り込み、慰謝料3百万円の小切手とゴルフボール1個をせしめるが、二人を送り届けた李のボディガード・マオ(松方弘樹)にコテンパンにのめされ、ゴルフボールを奪い返される。ゴルフボールには3億の大取引となるヘロインのサンプルが仕込んであったのだ。

 

寡黙で感情を顔に出さないマオは、李の半ば奴隷として虐待され、こき使われていた。マオの本名は広津健、戦時中上海で慰安婦をしていた母が5円で幼い我が子を李に売り渡したのだ。日本人でも中国人でもない無国籍者マオの母の記憶は、財布に忍ばせた雑誌の切り抜き一枚だけ。いつしか麗花はマオを愛するようになっていた。

 

やがて李と安武組の取引日が訪れる。マオは意を決し、ひとり李に叛旗を翻して3億のヘロイン強奪を企てる。麗花は父とマオとの板挟みで、マオについて行く決意をする。だがまだ手が足りない。麗花はゴロ政と勝を男と見込んで手助けを依頼する。マオの傲岸不遜な態度に一度は話を蹴るゴロ政だったが、マオが大切にしている母の写真を見たゴロ政はマオの真意を読み取り、ヘロイン強奪に協力することになる。

 

ゴロ政と勝、マオと麗花は二手に分かれ、ゴロ政達は伊丹空港でヘロインのトラックを奪い取る。ヘロインが奪われたことを知った李は安武組に救援を頼む。安武組の追っ手からしこたま銃弾を撃ち抜かれながらもマオとの待ち合わせの場所に辿り着く。マオは実のところ、ゴロ政と勝を消すつもりでいた。「日本人は信じるな」と李に何度も教え込まれてきたからだ。だがマオを信じてハチの巣になったトラックで駆けつけたゴロ政に、マオは初めて人を信じることを覚える。

「まむしの、オレはあんたを裏切るところだった。一生忘れねえぜ」
「ワイは白やけど、ワレは赤や。中国行ったら、二人で親孝行すんのやで」

ゴロ政はマオにカーネーションを渡す。去って行くマオと麗花のオープンカー。だが道路の先には、安武組一派がマシンガンで待ち構えていた。

 

マオと麗花の逃避行はあっけなく終焉を迎えた。3億の賭に負けたマオと麗花の復讐のため、ゴロ政と勝はたった二人で安武組に殴り込む。

 

*

 

鈴木則文菅原文太コンビの、のちの「トラック野郎」を彷彿させる作品である。

興味深いのは、この作品、主要登場人物が全員「母の記憶」を持っていないことだ。ゴロ政は戦災孤児で、施設と少年院を出たり入ったりして育った。勝も同じく施設育ちで、家族の記憶は唯一「満鉄小唄」のメロディーだけである(このことは、勝がおそらく在日朝鮮人の子であることをほのめかす)。こうした二人の出自はシリーズ1作目「懲役太郎 まむしの兄弟」(中島貞雄監督・1971年東映)で明らかにされる。マオ=広津健の出自についてはすでに触れた。李麗花は陽徳との二人暮らしで、そこに母の影は見えない。

 

「まむしの兄弟 恐喝三億円」は母のない三人の子(ゴロ政、勝、麗花)が母に捨てられた子(マオ)のために命を張るという構図になっていて、そのテーマ性はカーネーションを象徴的な小道具にして明確に意図されている。東映の任侠映画には、よく見ているとこうした「母もの」の主題が底に流れる作品が案外多い。見せ場の荒々しい殴り込み場面との対比として、こうした情緒に訴えかける主題でバランスを取っていたのだろうと思わせる。

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愛に濡れたわたし

港町、雷雨の夜。ずぶ濡れの京平(石津康彦)が雨宿りにバーに駆け込む場面から映画は始まる。客もなく、有線放送で森進一の「港町ブルース」が流れるだけの小さな店。カウンターには愛想のないママの美和(宮下順子)ただ一人。二人はそれがさも当然であるかのように肌を合わせる。美和の右の太股には包帯が巻いてある。

 

京平は会社を辞めて失踪した妻・よし子の行方を捜していた。京平と出会った美和は店を辞め、京平の妻捜しを手伝うつもりで世田谷区北沢にアパートを借りた。京平は美和の包帯が刺青を隠すためのものであることをいつの間にか知っていた。

「また考えてる、奥さんのこと。今夜も帰るの?」京平は美和と半同棲の状態になりながらも決して暮らすことはなく、畑に囲まれた郊外の自宅の住所を美和に教えようともしない。

 

ある日京平が美和のアパートを訪ねると、見知らぬ女が待っていた。美和の妹・月子(青木リサ)だというその娘は、美和に京平の世話するように命じられてきたのだという。さらにその娘は、失踪したよし子の居場所を知っていると不可解なことを言う。戸惑っていると、今度はサングラスの男(高橋明)が「照美を出せ」といきなり部屋に怒鳴り込んでくる。

 

小池という名のその男もまた、突然失踪した妻・照美を探していた。その女が美和にそっくりだったのだ。翌日、小池の誤解を解いて別れた美和の姿を偶然見かけた京平は美和の後を追うが、見失ってしまう。アパートで美和を問い詰めると、「知らないわ」と素っ気なく返す。それどころか「奥さんの居場所がわかったわ。あした、月子が情報を持ってくるわ」とはぐらかすようなことを言う。

「うれしいでしょ。あたしを奥さんだと思って抱ける?」
「僕は美和を抱くんだ」
「奥さんのこと、忘れて・・・あなたが好きよ」

 

夜、新宿コマ劇場まえ。約束の時間を遙かに遅れて駆けつけたのは月子ではなく美和。美和は月子が交通事故に遭って今日は居場所を教えられないと言いのこし、京平を残して病院へと駆け去る。京平が家に帰ると、部屋が何者かに荒らされていた。

「奥さんは?」
「妻は家出したんです」
「警察へは届けを出しましたか。家出人捜索願というやつですが」
「そんなこと、どうでもいいでしょう」
「どうでもいいってことはないでしょう」

窃盗の被害届を出しに来た交番で、京平の行動にもまた不可解な点があることが判明する。なぜ京平は妻の捜索願を出そうとしないのか。

 

「窃盗傷害の前科あり。まむしの美和。」妻捜しの調査を依頼していた興信所の調査員から京平は美和の正体を教えられる。美和の太股の刺青は南米に逃れた情夫への愛の証。情夫は間もなく帰国するはずだ。そうなれば京平は間違いなく殺される。それでも京平は美和を愛さずにはいられない。「奇妙な女だ。騙されるのが楽しくなる。企みはどこまで膨れてゆくのか。それに揺られている快楽・・・」

 

またある日、美和が誘拐された、身代金100万円持ってこいと月子は京平に告げる。

「驚かないの?」
「驚いてるさ」

有り金をはたいて身代金を月子に渡す京平。月子は京平の家に向かう。美和の名を呼ぶ。だが返事はない。月子は100万円を庭に放り投げる。跡をつけていた京平は月子を問いただす。

「君は100万で僕を試そうとしただろう」
「そうよ。だからお金を返したでしょ」
「美和はどこにいるんだよ!」
「そんなこと知らないわ。ここで二人で待ち合わせて、あんたをとっちめる約束をしたんだ。でも美和にはそんなことできなかったのね」

 

美和はその頃多摩川の川辺にいた。美和は数日前、この川辺にたむろする不思議な女(中川梨絵)とその取り巻きの若い男達に出会った。そして再び出会った男達に輪姦され、サディストのその女にナイフでなます切りにされる。そんな遊びに飽きて踵を返した女からナイフを取り上げた美和は、苦悶に表情を歪ませながら、太股にぐるりと描かれたまむしの刺青をみずからえぐり取る。その様子を冷たい視線で見つめた女は無言で去って行く。

 

翌日「今度こそ奥さんに会わせる」と美和に呼び出された京平は、町田の火葬場に連れて行かれる。妻が火葬されていることをなぜ知っているのか問いただす京平に、美和は「愛しているからよ」としか答えない。「奥さんのこと忘れられた?本当に奥さんを追い続けていたの?」と。だが火葬に付されていたのも、やはり別人だった。

 

「美和はもう帰ってこないわよ。あたしが今日からここに住むの」
美和のアパートには月子が待っていた。美和は姿を消した。

「栗原美和。写真がありませんな」
美和の家出人捜索願を出した京平は、警官に答える。
「写真は、ないんです」

 

港町、雨の夜、場末のバー、BGMの森進一。美和はずぶ濡れでこの店に帰ってきた。中ではかつて美和を捨てて逃れたヤクザが彼女を待っていた。抱擁。美和はヤクザの腹に包丁を突き立てる。吹き出す返り血で真っ赤に染まる美和のワンピース。

 

*

 

前々回の記事で観客は映画を見る時に無意識に持っている前提を、「期待」という言葉で表現した。

「登場人物の全ての行動には理由があり、それが説明されなければならない」。

「すべての謎はエンディングまでに解明されなければならない」。

この二つの期待は、観客の期待のうちでも最も根本的な種類のものであろう。人は生理的に物語を欲求する。この二つは物語の成立条件に関わる期待である。そしてこの期待を意図的に裏切る作品は「不条理」「難解」「実験的」「退屈」といった否定的なニュアンスを含んだ評価を受ける。

 

「愛に濡れたわたし」(加藤彰監督・1973年日活)はその種の観客の期待を裏切る作品であり、美和がなぜ嘘をつき京平を試し続けるのか、月子と美和は本当の姉妹なのか(月子は姉・美和に対して「姉さん」ではなく「美和」と常に名前で呼ぶ)、京平は本気で妻を捜していたのか、妻の捜索願を出さなかった京平がなぜ美和の捜索願を出したのか、それらの謎はこれだけ字数を使ってネタバレしても明らかにならない。確かなことは美和が京平を愛し、前の情夫を捨てる決意をしたことだけだが、それでも美和の説明なき行為は京平を疑問と確信の間に宙吊りにする。

そのことが、我々観客が持っている物語への期待ーーすなわち登場人物の行動への期待、謎の解明への期待の存在を逆照射する。観客に、期待を持って作品に臨んでいることを自覚させる。つまり「愛に濡れたわたし」はメタな作品である。この作品世界でもし仮に、美和に彼女の行動の理由のすべてをセリフで説明させても、それは「クレタ人はみなウソつきだ」というクレタ人のパラドックスしか生じさせないだろう。

 

この作品の謎めいたストーリーとは対照的に、描かれる風景は極めてリアルなロケーションである。美和のアパートがある世田谷区北沢、京平の自宅がある東京郊外の畑、不思議な女がたむろする多摩川土手、これらは日活調布撮影所がある京王線沿線の風景を切り取ったものである。この中で1時間あまりの作品世界が進んでゆく。

 

ただし、オープニングとエンディングで描かれるいかにもセット然とした港町の盛り場のシーンだけが極めて虚構めいている。そしてそこで惨劇が起きる。

 

加藤彰はオープニングとエンディングに同じ場面を使うことが多いが、「愛に濡れたわたし」ではリアルな風景の中の幻想への「出入口」がこの虚構の港町の盛り場なのだろう。

 

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みな殺しの霊歌

有閑マダムが、次々と殺される事件が起きる。被害者の共通点は、ある日マンションの一室で麻雀をしていたことだけ。麻雀仲間は五人。次の被害者が出るおそれが高い。だが警察の捜査は難航する。

 

新宿、とある大衆食堂。雨で客も来ない。店じまいをしかけていたところに、陰気な男(佐藤允)がのれんをくぐる。「もうおしまいなんですけど」「なんでもいいんだ」男はカツ丼を頼む。食堂の店員・春子(倍賞千恵子)は男に箸とフォークをそっと差し出す。川島、という名のその男が次々とマダム殺しに走る動機は一向ににわからないまま、春子と川島は交流を深めてゆく。

 

ところかわって、とあるクリーニング屋。北海道から集団就職で住み込み勤めに来て、理由もわからず自ら命を絶った少年の、位牌に線香を上げてやる川島がいる。しかし死んだその少年と、川島の接点は同郷だという以外にはない。

 

「あの子と結婚するのか。それならそれで、まじめに考えてほしいんだ。聞いたのか、あの子の兄さんのこと」

食堂の主人は春子の暗い過去を川島に打ち明ける。五年前、手のつけられないほどぐれて家族に暴力を振るう兄を絞め殺し、執行猶予付きの実刑判決を受けていたのだ。春子の心根の良さを知る定食屋の主人は、せめて春子に幸せな結婚をさせてやってくれと涙ながらに川島に懇願する。川島は店の壁を見つめる。視線の先には、警察の指名手配犯のポスター。だが一カ所だけ破り取られているところがある。その場所には本来、川島のモンタージュ写真があるはずだった。同じ頃、春子は荒川の土手になすこともなく佇んでいた。

 

指名手配犯・川島の孤独な逃亡生活は二つの出会いによって引き裂かれつつあった。一つは潜伏先の工事現場で出会ったクリーニング屋の少年、その突然の死、彼を死に追いやった五人の女への復讐。もう一つは、彼を逃亡犯と知りながらなお愛してくれる不幸な春子が望む平穏な生活。

 

「自首してほしかったのか」
「そうよ!自首して出れば五年か、長くても十年。それくらいならあたし、待っててあげようと思ったの・・・」

荒川土手の草むらで春子は川島を説得する。だが川島にはあと一人だけ、殺さねばならない女がいる。

春ちゃん、待ってくれ。一つだけ、明日の朝、明日の朝ここで会ってくれ!」

そう言い残して川島は復讐を完遂するために春子を置いてゆく。

 

翌朝、雨。約束の場所で春子は待っている。来るはずもない川島を。春子は川島とのただ一つの記憶である、ポスターから切り取ったモンタージュ写真を一度は破り捨て、そして再びつなぎ直す。

 

*

 

「みな殺しの霊歌」(加藤泰監督・1968年松竹)は何の映画か。人は山本周五郎「五瓣の椿」の現代的な映像化である*1と言い、またある人はフィルム・ノワールであると言い、またある人は超クロースアップと雨の場面を重視する加藤泰らしい作品であると言い、またある人は鏑木創のスキャットを多用した音楽が感傷的すぎると言い、またある人は大衆食堂、荒川といった舞台や刑事役の松村達雄、クリーニング店主役の太宰久雄といったキャストに松竹の下町もののテイストがある*2というだろう。

それはすべて正しい。映画の見方に正解はない。

 

 印象的なのは、この作品におけるモンタージュ写真という小道具だろう。春子は川島が氏名手配犯であることを悟られまいとして、川島の写真を破り取り、川島の社会的存在を消してしまう。やがてそれは、ラストシーンにおいて春子が大切に持っていた、彼女にとっての川島の唯一の記憶であることが判明する。その頃、川島はこの世からいなくなっている。人間としての川島が消滅している。

モンタージュ写真とは、相貌のパーツごとに他人の顔を組み合わせて作り上げたまがいものの顔である。まがいものの顔以外、春子と川島の間には何も残っていない。だから春子はまがいものと知りつつ、そこにしか思いを仮託することはできない。人と人とは、なんと弱い紐帯によって生きているのか。この場面はそんなことを問いかけているように思える。

 

加藤泰、映画を語る (ちくま文庫)

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*1:加藤泰、映画を語る」によると、もともとは「五人の女が次々と殺されてゆく話を作ってくれ」と松竹製作本部からの依頼を受けて加藤が「五瓣の椿」を連想したところから企画がスタートしたそうだ

*2:製作には山田洋次が参加している

若さま侍捕物帳 黒い椿

娯楽映画にはある種のルールがあり、そのルールは観客から作品への「期待」と、作品から観客への「サービス」(それがたとえ社会規範や倫理に反するものであっても)からなる。作品が観客との間に交わしたこの約束を忠実に履行することが、先品の成功を左右する基礎になる。

 

伊豆大島の活火山・三原山に立つ者は、火口に落ちなければならない」。これはそのルールの一つであると言える。現実には何人も三原山火口に落ちるなどということはあってはならない。だが映画のなかの三原山の火口に立つ者を捉えたシーンでは、観客はその者に落ちてくれと期待せずにはおれない。作品はたっぷりの演出を込めて期待に応える。

 

例としてリメイク版の「ゴジラ」(橋本幸治監督・1984年東宝)のクライマックスを挙げよう。動物学者の発明した音波誘導装置で三原山の火口まで誘き出された無敵の怪獣。火口には防衛隊が爆弾を仕掛けている。一瞬、ゴジラは火口の寸前で立ち止まる。カメラは怪獣を正面からの短いバストショットで捕らえる。観客はその瞬間、知能としては下等動物にーーより正確にいえば人間らしい表情の作りようがないラテックスの着ぐるみにーーすぎないそのモノに、ある種の「思惟」を読み取る。怪獣が、そこに致命的な罠が仕掛けてあることに気づいているのではないかと錯覚する。あるはずもない怪獣の≪心≫を、観客自身が作品に刻印する。

だが観客が怪獣の思惟を内面に言語化する前に、せっかちな防衛隊は爆弾を破裂させ、足下を崩されたゴジラは奈落へと落ちてゆく。映画は待ってくれないのだ。

この印象的なシークエンスを効果的に成り立たせているのは「三原山の火口に立つ者は、そこに落ちてくれなければ映画にならない」という観客の期待である。作品がそれに如何に応えるか、として腐心するために日本で異常発達した特撮の技法は必要ない。サスペンスの技法が必要なのだ。

 

 *

 

「若さま侍捕物帳 黒い椿」(沢島忠監督・1961年東映)はさらに「三原山の火口ルール」に忠実な作品である。

 

氏名不詳の主人公・通称「若さま」(大川橋蔵)は江戸の喧噪を離れ大島に保養に来る。冒頭、三原山を散策していた若さまは花を手に火口に佇む不思議な少女・お君(丘さとみ)と出会う。お君は大島のどこにでもいる可憐なアンコ(伊豆大島の未婚女性)にしか見えないが、実はお君の母はかつて江戸から来た侍と恋に落ち、父なし子のお君を産んでからは世間の風当たりに耐えきれず幼いお君を残して三原山の火口に身を投げたのであった。

 

若さまが出会ったその時、お君は母の墓でもある火口に花を供えに来ていたのであり、お君は漁師の祖父のもとで椿油の収穫で身を立てながらも、世間の冷たい視線に絶えず晒され続けて生きてきたのだった。お君は生まれながらに三原山の火口の呪いを背負ってきたのである。

 

「若さま侍捕物帳」は時代劇とはいえチャンバラ主体ではなく探偵もののシリーズらしい(見たのがこの一作なので他作品のことについては言えない)。探偵ものというのは主人公が訪れた瞬間から事件が動き出す。「黒い椿」では強欲な漁師網元・甚兵衛(阿部九洲男)の殺人事件を巡って無実の罪を着せられたお君の祖父・作造(水野浩)と彼を匿うお君、真犯人を捜す若さまの推理劇が平行して展開する。若さまの宿の女主人お園(青山京子)、番頭金助(田中春男)、金助を追って大島に密航してきた謎の修験者(河野秋武)、甚兵衛に椿油工場を取り上げられた油屋与吉(坂東吉弥)、油取引だけが目的ではない江戸の油仲買人新三(山形勲)、乞食婆のお熊(金剛麗子)といった容疑者が蠢き、あるものは殺される。

 

探偵ものなので真犯人を明かすことはここではできないが、クライマックスはやはり三原山の火口に設定される。

村人達の山狩りで三原山に追い詰められたお君と作造は、そこで待ち構えていた「真犯人」に、すべての証人に消えて貰うため火口に飛び降りるよう脅迫される。いわばお君は自らの呪いの成就を強いられるのだ。

 

そこに都合良く現れる若さま。事件の真相はすべて判明したと真犯人を追い詰める。探偵との知恵比べに破れ観念した真犯人は、己の不運を笑い飛ばしながら、足を滑らせて火口へと落ちてゆき、 一切の叙情的無駄を排除した作品はここで唐突に終幕となる。

 

三原山の火口ルール」は、そのルールを自らの出生の呪いとして引き受けた、哀れなお君よりも、真の悪人である真犯人を相応しい身代わりとして飲み込むことで観客に最高級の満足を与える。母が江戸の侍と恋に落ちたがゆえに不幸を背負ったお君は、別の江戸の侍・若さまの力によって呪いを解かれ、アンコとしての平穏な将来が暗示される。これが娯楽の正統でなくてなんであろうか。

 

*

 

まだ少女の域を出ないお君は、自力で火口落ちの呪いを断ち切ることはできず、若さまの力を得ることによって初めて解放された。だが自らの意志で呪いを絶つこともできる。それには自らが他者をーー意図的であれ偶然であれーー落としてしまうというタブー破りが必要だ。誰かを落とすことによって呪いを解くこと。「めまい」(アルフレッド・ヒッチコック監督・1958年アメリカ)におけるジェームズ・スチュワート以上に、その意志の強さを見たものはない。教会のらせん階段と同じくスパイラルに上昇してゆく観客の期待に応え、高所恐怖症の中年探偵は呪いの権化であるキム・ノヴァクを伴って駆けあがってゆく。天辺にたどり着いたその先には・・・

 

「若さま侍捕物帳 黒い椿」にはヒッチコックのサスペンスの強靱さはない。だがそれでも、「めまい」の翻案なのである。

 

(「若さま侍捕物帳 黒い椿」はソフト化されていません)

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菅原文太とイスラム過激派

池袋の新文芸坐で開催中の菅原文太追悼上映では、文太が1974年に吹き込んだアルバム「菅原文太 男の詩 旅立ち 放浪」が休憩時間に流れている。

 

このアルバムに、文太のカバーによるエト邦枝のヒット曲「カスバの女」が収録されている。ここ数日は池袋で何度も菅原文太版「カスバの女」を聞くともなく聞いている。アルジェリア戦争(1954ー62)を背景に外人部隊の兵士と、酒場の女の短い恋を唄った1955年の懐メロである。

 酒場の女は望郷のフランス兵のために「花はマロニエシャンゼリゼ」と歌ってやり、「明日はチュニスかモロッコか」と彼の明日をも知れぬ行く先を思う。儚い恋の歌であると同時に、異国情緒をたっぷりと歌い上げた歌詞である。チュニスと聞いてそれが地球のどこにあるか思いつく日本人は、当時は殆どいなかったのではないだろうか。

 

事情は今でもそう変わるまい。チュニスがどこにあろうと、我々の生活に大きな影響があるとは思えないし、明日も今日と同じく新文芸坐は文太の歌を流すだろう。1955年と2015年をひとつ大きく隔てるのは、チュニスでの騒乱に日本人の一般庶民も無関係ではいられなくなったことだ。昨日チュニスで発生した乱射事件に巻き込まれた日本人は、地中海ツアーの観光客だったそうだ。

toyokeizai.net

背景にはいうまでもなく地中海沿岸の北アフリカにおけるイスラム過激派の台頭がある。犯行声明は出されていないものの、実行犯はアルカイダ系過激派組織「チュニジアのアンサール・シャリーア」との繋がりがあるとの報道が流れている。

www3.nhk.or.jp

一方、BBCは政府筋の話としてIS(イスラム国)系の過激派の関与を指摘している( BBC News - How big is Tunisian militant threat? )。

NHKが「アルカイダ系組織」としているチュニジアのアンサール・アル・シャリーアは先週、指導者の一人がリビアでのIS拡大活動中に殺害された。今回の襲撃はその報復だと分析している。だとすると、アンサール・アル・シャリーアアルカイダではなくISのシンパだということになる。この違いは重要だ。根を同じくするとはいえ、アルカイダとISは明確な敵対関係にあるからだ。詳報を待つべきだろう。

 

いずれにせよ、2011年のアラブの春に先鞭をつけ、民主化が進んだはずのチュニジアでさえイスラム過激派が浸透していることに衝撃を受けた人は多いかも知れない。だが先のBBCニュースによると、3000人を超えるチュニジア民兵がIS(イスラーム国)のジハード戦士としてイラク、シリアに流れ込んでおり外国人兵としては最大規模だそうだ。

http://news.bbcimg.co.uk/media/images/80549000/gif/_80549572_syria_foreign_fighters_chart_27_01_15_624.gif

 

カスバの女」は植民地アルジェリアの独立を押さえ込む宗主国フランスの傭兵の歌だった。それから60年を経て、かつての植民地はジハーディストという名の傭兵を送り出している。対立構図はかつての宗主国ー植民地のように明瞭ではなく、混沌としている。

そこには「カスバの女」の望郷の歌はもはや無邪気でしかない。

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日活の黄金期を彩った歌声

ゆく年くる年2015「貼り付け機能でプレゼントキャンペーン」

 

あとで買おうと思っている商品の備忘録代わりにAmazonウィッシュリストを使っているのだが、何年もウィッシュリストに残りっぱなしのものも少なくない。

 

その一つがこれ。2012年に日活の創立100周年を記念して作られた、映画主題歌のCD5枚組ボックスセットだ。 

日活100年101映画~娯楽映画の黄金時代~

日活100年101映画~娯楽映画の黄金時代~

 

 

戦前のディック・ミネから倒産直前の名作「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督・1971年)まで、約40年分の映画音楽から101作品171曲をセレクトした貴重な音源集だ。ロマンポルノ時代の音源は含まれていないが、まあそれはいいだろう。

 

幅広い時代をカバーしていて、若かりし志村喬の歌声も、近年再評価が高い「月曜日のユカ」(中平康監督・1964年日活)のテーマ曲(主演の元祖小悪魔・加賀まりこの鼻唄バージョンで聞きたい人は「日活映画音楽集~監督シリーズ~中平康」をどうぞ)も入っているが、中心的なラインナップは戦後、日活の映画製作が再開した昭和20年代末から30年代を通しての日活黄金期を支えたスターの歌声だろう。小林旭「ギターを持った渡り鳥」、石原裕次郎「錆びたナイフ」、坂本九吉永小百合浜田光夫による「上を向いて歩こう」・・・まさにザ・昭和歌謡。全曲のラインナップはこちら

 

これらの、今の耳で聞けばある意味ではのどかな主題歌が、日活の武器だった。特に小林旭石原裕次郎は大抵の作品の冒頭のスタッフロールで自慢のノドを披露している。モダンな青春映画・アクション映画が人気作品だったことも主題歌のとの相乗効果を高めたのだろう。時代劇ではこうはいくまい。東映高倉健に「網走番外地」を歌わせるようになるにはまだ時代を下らねばならなかった。対抗馬になり得たのは「下町の太陽」(倍賞千恵子)の松竹ぐらいか。いずれにせよ、当時の映画ファンはアキラや裕次郎の歌を耳にした瞬間から作品世界に没入することができたのである。

 

主題歌の映画史という切り口があってもいい。その意味では廃盤になる前に手に入れておきたいCDである。