トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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大阪ど根性物語 どえらい奴

きのう、なぜ日本の起業家の生涯は映画にならないのかというエントリを書いた後で思い出したことがあった。

 

起業家の映画がポピュラーにならないのは、おそらく、事業を興して財をなす人が尊敬の対象にならない風土があるからだが、例外もある。浪速の商人(あきんど)の世界だ。昔よくテレビドラマの原作になった花登筺の世界。彼らが裸一貫から商才と根性でのし上がって行くさまは、アントレプレナーシップと言うより立志伝という言葉のほうが似合う。

 


 時は明治から大正の頃。唯一の肉親である父を亡くした少年・勇造は、父の棺桶を一人で背負って火葬場へ運ぶ途中、派手な葬列(当時は多数の参列者が歩いて棺を運ぶ習わしだったらしい)に邪魔されて棺桶をひっくり返されてしまう。勇造はこのときの悔しさをバネに、葬儀屋の奉公人からはじめてやがて独立し、小さな葬儀屋の社長におさまるが葬儀を切り盛りする従業員もろくにいない。やがて自動車の時代がやってくる。これだ。勇造は運送屋の蜂谷のトラックを改造し、少ない従業員と低料金で仏さんを火葬場まで運ぶ「霊柩車」を使った葬儀を発明する。

 

遺体を車で運ぶことへの認知が広まり、勇造の商売は軌道に乗り始める。やがて社運がかかった大口の仕事が舞い込むが、昔ながらの葬列葬儀を続ける商売敵に会場をメチャクチャに破壊されてしまう。葬儀は明朝。勇造は仲間と夜を徹して会場を再生し、見事に葬儀を成功させる・・・

(ストーリーは記憶を基に映画.comの作品情報で記憶違いを修正しながら記載した)


 

1965(昭和40)年の作品「大阪ど根性物語 どえらい奴」の監督はこれがデビュー作となる鈴木則文、主人公・勇造に藤田まこと、女房志津に藤純子、運転手の蜂谷に長門裕之。実に、実に面白い作品だが、鈴木の回想によると、興行成績はパッとしなかったらしい(鈴木則文トラック野郎風雲録』による)。

 

Wikipediaによると霊柩車が発明されたのは1917(大正6)年、大阪の「駕友」という葬儀屋の鈴木勇太郎という人物によるものだそうだ。考えてみれば大発明である。トヨタの車に一生乗らない人でも、死ねば霊柩車に乗る。それはクラウンをベースにしているかもしれない。井深大や三木谷浩史が嫌いな人でも、死ねば多分鈴木勇太郎の発明に世話になるだろう。そう考えると鈴木勇太郎(映画では勇造)は知られざる偉大な起業家だ。

 

だがこの映画はビジネスの四文字からはあらゆる意味で縁遠い。そしてそこに、何の不満も抱かせない。どこからどう見ても「大阪ど根性物語 どえらい奴」は浪花節の世界だ。悔しさをバネにのしあがる少年、くっついたり愛想をつかされたりの恋女房、商売敵の嫌がらせ、最後の大逆転。娯楽に徹する鈴木則文の姿勢はこのデビュー作で確立されている。

 

日本映画に起業家の物語が少ないのは事実だと思う。だが見過ごされている部分も少なくないかもしれない、と思うようになった。