トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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連想読書

勤労感謝の日の先週末から週明けにかけて、5冊ばかり本を読んで過ごした。

 

会計用語でいうところの「後入れ先出し法」ーーつまりいちばん最近買ったものから読み始めるーーで本を読むクセが自分にはあって、買ったはいいがつい読み始めるチャンスを失したために、未読のまま棚に放ってある本が何冊もあった。少しは「在庫」を減らそうと思ったわけだ。

 

取りあえず未読の本のタイトルを適当にメモ帳にリスト化し、1冊ずつページを開いていく。読んだらリストから消す。流れ作業のようで味気ないが、読了したリストを見ていくと、連想術のような、ある繋がりがあることに気がつく。

一つ一つの書評はしないがご容赦願いたい。(以下のリンクはすべてAmazonアフィリンクなので、ステマが気に入らない人は踏まないでいただきたい)

 

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』の井川意高(元大王製紙会長)と『ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく』の堀江貴文(元ライブドア社長)の共通点は明白だ。東大卒、経営者、逮捕、有罪判決、投獄。『熔ける』によると両者には個人的親交もあり、井川が拘置所に入れられると真っ先に座布団を差し入れたのが堀江だという。

 

堀江貴文が生まれた1972(昭和47)年、「ラブ・ハンター 恋の狩人」という映画が警視庁により猥褻容疑で摘発された。ここから、映画監督・山口清一郎と国家権力との「ワイセツ」を巡る長い裁判闘争が始まる。この顛末を、70年代初頭の映画業界の空気、日活という労組に支配された斜陽企業の空気をすくい上げながら綴ったのが鈴木義昭の『日活ロマンポルノ異聞―国家を嫉妬させた映画監督・山口清一郎』。フィルモグラフィを日活で2本、ATGで1本しか残せなかった山口の作品は残念ながら見ていない。

 

「日活ロマンポルノ異聞」は、山口の言葉を引用しながら、戦後日本社会の二つの巨大なタブーが「性のタブー」と「菊のタブー」であることを指摘する。「菊のタブー」とは、すなわち天皇と天皇制。『言論の不自由?! 』の著者・鈴木邦男は、右翼団体一水会の創設者でもある著名な民族主義者だが、テロや暴力的手段を禁じ手とし、天皇を巡る意見対立*1は、あくまで暴力でなく話し合いで乗り越えるべきだと繰り返し主張する(そのためにシンパであるはずの他右翼団体から度々批難を受ける)。

 

この本の中で鈴木邦男は、たとえ立場は違っても理のある相手にはためらわず賞賛を送る。その相手が1991年に「朝まで生テレビ」で同席したとき、反天皇の立場でただ一人、天皇制廃止への具体性ある道筋を示した辻元清美だ。辻元は、現憲法の第一章(天皇)を丸ごと削除し、第二章(戦争の放棄)から始める改憲手続きを取るべきだ主張した。改憲にむけて国民的合意を形成するという戦術において、鈴木ら右翼と辻元の左翼は共闘できる可能性を示してみせたのだ。少なくともこの当時、辻元清美改憲派だったことになる。

 

朝まで生テレビ」のレギュラー論客だった当時、辻元はNGOピースボートの代表を務めていた。ピースボートが1985年に開始し、当初の政治色を薄めつつも現在まで続いているのが老朽クルーズ船による格安世界一周旅行。その船旅を社会学のフィールドワークの舞台に選んだのが『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 』の古市憲寿である。古市が2010年に見たピースボートは「世界平和」と「護憲」(改憲じゃなかったのかよ) を標榜はするが、政治色はマイルドに抑えられている。船旅の主な乗客である20代の若者も、また彼らを見つめる同年代の古市の関心もそこにはなく、彼ら自身の内面形成ーー上の世代から見ると内向きに見えるかもしれないがーーに関心が向けられている。ありきたりな物言いだが、時代は変わったのだ。

 

こんな感じで駆け足で本を読んでいた。

 

*1:この本が最初に書かれた当時、昭和天皇の戦争責任に言及した本島等長崎市長を右翼団体の構成員が狙撃するという事件が起きていた