トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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土曜は寅さん!(4)

男はつらいよ」シリーズ第5作「男はつらいよ 望郷篇」1970〔昭和45〕年。

むかし世話になった政吉親分が危篤だと聞きつけ、すぐにも札幌の政吉の許へと駆けつけようとする寅次郎だが、先立つ旅費がない。金を借りようにもとらやのおいちゃんは雲隠れ、帝釈天の御前様には「そんなことに金は出せん」と言下に断られる。

やむなくさくらに旅費の工面を頼む寅次郎だが、彼女は心を鬼にして寅次郎を叱責する。

 

お兄ちゃんはね、あたしのたった一人の肉親なのよ。だからあたしは、そのお兄ちゃんに立派な、頼りがいのある人になってもらいたいから、あたしは言うの、ね?

 

お金のことだけじゃない、今日だって工場に行って、工員さんたちがまじめに働いてるのに冷やかしたりしてたんでしょ? どうしてそういうこと言うのよ。額に汗して、油まみれになって働く人と、いいカッコしてブラブラしてる人と、どっちがえらいと思うの? お兄ちゃん、そんなことが分からないほど頭が悪いの? 地道に働くっていうことは、尊いことなのよ。

 

お兄ちゃん、自分の歳のこと考えたことある? 今に、あと5年か10年経って、きっと後悔するわよ。そん時になってからではね、取り返しがつかないのよ。ああ、バカだったなと思っても、もう遅いのよ。

 

このセリフはさすがにこたえたらしく、お調子者の寅次郎でさえ一言も言い返すことができない。だがこのセリフを言い切った直後、さくらはヘソクリを寅次郎に渡す。「満男が生まれたとき、『これでアメ玉でも買ってやれ』って五千円くれたでしょ?」その祝儀返しだと言いながら。この兄妹愛のシークエンスがとても美しい。

 

その後北海道で政吉親分のわびしい最期を知ったこともあって、寅次郎はテキ屋稼業に嫌気がさし足を洗うことを決意する、という展開になるのが本作のストーリー。

 

「地道に働くことは尊い」。さくらはそう言い切ることにいささかの迷いも持っていないし、そのこと自体は今も当時も不変の真実だ。

 

ただ、2013年の日本社会にとって、このテーマにはある前提条件が必要になった。その前提条件を括弧書きにしてさくらのセリフを書き直すとこうなる。セリフとして長すぎてダメになるだろうが。

 

地道に働(いて明日の生活費の心配をしなくていいぐらいの収入がある)っていうことは、尊いことなのよ。

 

何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、地道に働くことさへの尊厳さえも危機的状況にあるのが現代という時代だ。地道に働けば安定した生活が約束されるとは限らなくなっている。明日もこの工場で働けるか、潰れて給料未払いになってないか、生活できるだけの給料が払われるのか。そんな心配が先に立つ。かつては自明のことだったそれらの保証は、もはやさくらのセリフのょうに暗黙の前提にはなっていない。

 

一山でっかく当てて厳しかった親父を見返してやるんだ、という寅次郎の舎弟分、登のように、浮草稼 業者は地道な労働への尊厳をもとから持っていなかっただろう。だが今は、本来あったはずの尊厳を、みずから捨てた経営者も捨てざるを得なかった労働者もいる。さくらのセリフは今、もっと多くの立場の人が肩を落として耳を傾けるべきではないか。