トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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土曜は寅さん!(5): 男はつらいよ 奮闘篇

春。まだ雪残る新潟の山間部・越後広瀬駅の待合室から「男はつらいよ」シリーズ第7作「男はつらいよ 奮闘篇」(山田洋次監督・1971年松竹)は始まる。 

待合室では就職のため上京してゆく学生服姿の少年少女たちと、その母親たちがストーブの暖を取っている。そのなかに一人、少し場違いな風貌の寅次郎。

 映画は「冬来たりなば春遠からじと申しますが・・・」という寅次郎のナレーションで始まる。

 ーーどこへ就職するんだい?

一人の少女が答える。

ーー東京のおもちゃ工場です。

ナレーションが続く。

可愛い子には旅をさせろと申しますが、年端もいかねえのに労働に出なきゃならねえこの若者たちに、遊び人風情の私が生意気なことでざいますが、こう言ってやったんでございます。親を恨むんじゃねえよ、親だって何も好きこのんで貧乏してるわけじゃねえよ、ってね。

 寅次郎は学生たちを「くじけんじゃねえぞ」と見送り、列車は去って行く。

 

この場面に登場する少年たちはおそらく、エキストラではなく本物の集団就職の学生だろう。この一連の場面はドキュメンタリー風でもあり、本作の前年に山田洋次倍賞千恵子・井川比佐志主演で撮った「家族」(1970年松竹)を強く連想させる*1

 

男はつらいよ」の主要テーマは寅次郎の不器用な恋だが、この作品では都会に就職した地方の若者というサブテーマが描かれている。本作のマドンナ・榊原るみ演じる花子も西津軽の漁村から静岡の沼津の工場に就職したという設定。

 

花子と寅次郎の出会いは沼津のラーメン屋。花子がお代を払って店を出た直後、店のオヤジ(柳家小さん)が寅次郎につぶやく。

お客さん、あの子ね、ここ(アタマ)が少しおかしいね。ちょっと見た目はね、可愛い女の子で通るけども、よーく見てごらんよ。目元なんざ、変にこう、間が抜けててさ、ありゃどっかの紡績工場から逃げ出してきたに違いないよ。

いま人手不足だからね、工場の人事課長か何かが田舎行って、ちょっと変な子だけど頭数だけありゃあ、なんてんで引っ張ってきて来たようなものの、人並みに働けねえ。しょっちゅう叱られてばかりいて、逃げ出すって奴だよ。

そのうちにマア、悪い男か何かにだまされて、バーだキャバレーだ、挙げ句の果てにゃストリップか何かに売り飛ばされちゃうんじゃねえかなあ。かわいそうだなあ。

 実はオヤジの心配どおり、花子は工場を辞めてバーで働かされていたのを逃げ出し、青森に帰ろうとしていたのだ。だが花子には軽度の知的障害があるために鉄道のルートもよくわかっていない。心配した寅次郎の計らいで柴又に身を寄せることになる。

 

1971(昭和46)年は高度経済成長期の終盤、今から当時の世相をイメージすると70年安保に挫折した学生らが過激な武装闘争に走るか、男も髪を伸ばしてゴーゴーを踊ったりした、それなりに騒然とした時代のように思いがちだが、「男はつらいよ」はそのような若者風俗を描かない。文部科学省学校基本調査」によると、1970年の時点で高校進学率は約82%、大学進学率に至っては約24%で、過激な政治活動に走る大学生はさらのその一部と考えると、数の上では若者のごく少数に過ぎない。多数は中学や高校卒業後、学校経由の求人ルートに乗って地方の実家を出、都市の工場などに就職していた。山田洋次の関心はサイレント・マジョリティであった彼らのほうに向けられる。

 

70年頃には中卒の集団就職は、数としてはすでにピークアウトしていたと思われるが、都会に働きに出た若者の個々の境遇は恵まれたものではなかった。経済学者・吉川洋の「高度成長 (中公文庫)」によると、

雇い主から『金の卵』と呼ばれた彼ら(注:中卒の集団職者)の多くは中小企業に就職し、大都会の片隅で仕事や生活への不満を圧し殺すようにして毎日の生活を送っていた。

と述べ、あるランプ工場で働く少年の生活をルポした1959年の記事を紹介している。吉川は続けてこう述べる。

夢破れて故郷に帰る少年少女もいたが、多くは大都会にとどまり他の職場を求めた。いずれにしてもそれは「終身雇用」とは無縁の世界だった。

と述べている。同書が引用する1964年1〜6月の中卒就職者の離職率は、従業員数100人以下の企業で17%から18%に達している。半年で6人に1人が勤め先を辞めている計算になる。単純計算だと1年では3人に1人という離職率。

 

自分のやりがいとか適性とか、そんなこと考える時間もなく(だいたいそんな概念がなかった)、10代半ばで学校の薦める職場に就職したものの、厳しい労働環境に耐えられず職を転々とする若者も実は少なくなかったことがここに示唆されている。こうした若者たちは働きぐちを選ぶのに悩むのではなく、働き出してから悩むことを強いられていた。地道に働くことは尊いが、だからといって辛いことに変わりはない。ラーメン屋のオヤジの心配は時代背景を考慮するとけっこう当を得たものだったと言える。

 

 情に厚い寅次郎ととらやの面々に見守られ、花子は学校の担任の教師(田中邦衛)に連れられて津軽に帰り、人間らしく生きる道を見つけることができた。が、冒頭のおもちゃ工場に就職した少女や少年たちはその後、どうなるのか。辛い思いをしてやしないか。寅次郎とて誰も彼も面倒を見てやることはできない。だが口達者な商売柄、声をかけてやることはできる。「遊び人風情が生意気なことを」と謙遜しながらも。それがこの男の良さである。

*1:本作の終盤、今度は、自殺をほのめかす葉書を寄越してきた寅次郎の身を案じたさくらが、寅次郎の居る青森の西津軽まで列車を乗り継いでゆくシーンがあるが、その場面はさらに「家族」を思わせる。