トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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「左翼にあらずんば映画人にあらず」発言の背景

東京に住んでいるのでよく知らないが、自治体主催で長年開催されていた京都映画祭が、吉本興業のバックアップで「京都国際映画祭」と名を改めて2014年に開催されるそうだ。その準備委員会での俳優・津川雅彦のスピーチが話題になっていることを下記のブログで知った。「国際映画祭にかかわる会見で左翼嫌悪を公言する必要がどこにあるのだろう」という法華狼さんの意見には自分も同意だ。

日本映画を左翼が駄目にした……っていつから? - 法華狼の日記

 

それより準備委員会の式典が祇園の花月劇場、ゲストに鉄拳、今いくよ・くるよらの吉本所属芸人を登壇させてるのが気にはなる。やっぱりこうしないと盛り上がらないんだろうか。

お笑いナタリー - 「京都国際映画祭」発足会見にいくくる、品川、鉄拳

 

スピーチ全文がわからないのでどんな文脈で言われたのかわからないが、「左翼」=共産主義という前提でいくと、津川発言の「左翼にあらずんば映画人にあらず」という風潮はは確かにあったのではないかと思う。

 

ただしそれは津川雅彦が言う日教組にまつわることではなくて、戦後の一時期、合法化された共産党の影響下で映画制作の現場で激しい労使対立が起こったことに起源をもつ。有名なのは1946年から48年にかけての「東宝争議」だろう。進駐軍の介入まで招いた東宝争議の経緯は春日太一「仁義なき日本沈没」に詳しい。(以下の記述も同書に基づく)

仁義なき日本沈没: 東宝VS.東映の戦後サバイバル (新潮新書)

仁義なき日本沈没: 東宝VS.東映の戦後サバイバル (新潮新書)

 

 

同じ頃、東横グループが京都の小さな撮影所を拠点に映画制作を始める。それが東横映画、のちの東映京都撮影所である。東横映画は満州から引き上げてきた映画人たちの手で制作を手がけ始める。その中心にいたのが責任者のマキノ光雄。マキノ省三の次男でありマキノ雅弘の弟、津川雅彦の叔父にあたる人物である。

 

東宝争議の背景には映画制作が徒弟制の職人的な世界から「労働者」と自らを見なすようになった価値観の変化があるが、もちろんそれについていけない人もいた。彼らの受け皿になったのが戦前からつづく「面白い映画を作れればいい」というマキノ家の価値観に支えられた東横映画だった。

 

「右翼も共産党も関係ない! 映画の好きな奴が映画を作る、ここは大日本映画党や!」

マキノ光雄の掛け声の下、新興の野心を抱く者や再起への執念に燃える者、映画人たちが魂をぶつけ合いながら、東横撮影所は進んでいった。

(「仁義なき日本沈没」p.40)

 

争議を収拾して制作再開にこぎつけた東宝と、新興映画会社の東映の営業上の対立はその後も続くがここでは省略する。

津川発言にはこのような歴史が影を落としているように思える。