トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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新選組始末記

浪人、山崎蒸(市川雷蔵)は偶然出会った新選組近藤勇(若山富三郎)の人柄に惚れ込み、山崎の兼ねてからの願いであった武士らしく死ぬ場所を求めて新選組に入隊する。

 

新選組は隊規を破った者に切腹という厳しい罰則を掲げていたが、素行の悪い局長芹沢鴨(田崎順)を、近藤勇土方歳三(天知茂)の計略で夜盗の襲撃に見せかけて惨殺する。あくる芹沢の葬儀で、近藤は涙を浮かべて自ら殺した男への弔辞を読み上げる。

 

ことの始終を目撃していた山崎は、なぜ芹沢を武士らしく死なせてやらなかったのかと近藤を難詰する。新選組への不信感を持ち始めた山崎を、土方は警戒し行商に変装させて長州藩の動きを探らせる。

 

その頃、長州は京に火を放ち、そのすきに天皇を略取する計画を立てていた。追っ手に追われ、深手の傷を負った山崎は恋人・お志満(藤村志保)のもとに逃げ込み、つかの間の安らぎを覚えるが「やはり別れよう」と書き置きを残してお志満のもとを去る。やがて山崎は長州藩士が池田屋に集結しつつあることを目撃し近藤に伝える。いっぽう土方は長州藩士の拷問で集合場所が四国屋だと情報を得ていた。山崎の池田屋が正しいのか、土方の四国屋が正しいのか。近藤は自らを含めわずか6名を池田屋へ、土方と20名を四国屋へと向かわせる。

 

正しかったのは山崎のほうだった。池田屋に集結した長州藩士を近藤らは次々と切り捨てる。池田屋事件の幕が切って落とされる。四国屋から駆けつけた土方も加わり、長州藩士を皆殺しにする。夜が明け、池田屋の中に、屋根の上に、累々と転がる死体をカメラはじっと追い続ける。

 

事件にけりがついたころ、新選組の後ろ盾となる佐幕派会津藩の応援隊が到着する。尊皇派・長州と正面からことを構えたくない会津にとって、新選組はしょせん都合の良い尖兵以上の者ではない。

 

大勢の町人が無言で見守るなか、新選組池田屋を後にする。大役を成し遂げた山崎に、しかし晴れやかな表情はない。近藤はむろん土方の信頼も得、隊士の一員として認められた山崎だが、これが武士らしさということなのか、武士らしさとは結局殺戮のことなのかという迷いを隠していない。

 

見送る町人たちの中にお志満がいる。うつむいて山崎を見送ったお志満はやがて顔を上げ、正面を向いて歩き始める。蘭方医の娘お志満にはかねてより、長崎留学の話があったのだ。お志満は山崎の姿を見て、自分にも決心がついたのだろう。まっすぐ歩き始め、画面の外へと消えていく。

 

新選組始末記」(三隅研次監督・1963年大映)は今風にいうと雇用のミスマッチの話である。自分が組織に求める理想の「武士らしさ」と、組織が自分に求める現実的な「武士らしさ」が一致することはまずない。その間でいかにして生きる道を見いだしていけばいいのか、この作品は観客に問いかけている。

 

新選組始末記 [DVD]

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