トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

注意)本・DVDなどへのリンクはAmazonのアフィリンクです。ご了承下さい。過去記事一覧はこちらです。

デルス・ウザーラ

1902年夏、数名の部下を率いて沿海州を踏査していたロシア帝国の探検家アルセーニエフ(ユーリー・サローミン)は、森の中でアジア系の年老いた猟師デルス・ウザーラ(マキシム・ムンズク)と出会う。

年齢は「わからない」という。ずっと昔に家族を疫病で失ってから、ひとりで森の中に暮らしているデルスに、アルセーニエフは道案内を頼むことにする。

 

デルスは足跡を見ただけでそれが年寄りの足取りであることを見抜き、樹木を見ただけで付近に小屋が建てられていることを言い当てる。無人の小屋で休息した後、次に訪れる者のために塩と米とマッチを置いていってやることも忘れない。共に探検を続けていくうちに、アルセーニエフはデルスが森の中の暮らしで身につけた鋭い洞察力と気配りに敬服するようになる。

 

やがて冬が訪れ、一行は目的地のハンカ湖付近にたどり着く。デルスと二人して、凍結したハンカの湖面を訪れたアルセーニエフは、風に足跡を吹き消されて戻り道を見失ってしまう。やがて日が暮れようとしている。


 

「いいか、カピタン(隊長)、よく聞いて。これから、いっぱい、いっぱい、働く。働かないと死ぬ。」

アルセーニエフはデルスとともに、周囲からありったけの枯れ草を刈り集める。「もっと、もっと、早く!」アルセーニエフはあまりの重労働と寒気に疲労困憊して倒れる。気がつくと、彼はデルスが枯れ草で作った即席のテントの中で吹雪と寒気をしのいでいた。

再び目覚めると、朝になっていた。「起きて、熊さん、太陽だ!」デルスとアルセーニエフは、過酷な一夜を共に生き延びた喜びを抱き合って分かち合う。


 

東京では珍しい風雪に見舞われた夜、日本・ソ連合作映画「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督・1975年モスフィルム)の湖のシーンを思い出した。それでDVDを借りて再び見てみたが画面を通しても命に関わるほどの厳しい寒さが伝わってくる。

 

「高貴な野蛮人」(the noble savage)という言葉がある。戦争と不平等に明け暮れる文明社会より、未開だけれども自由で平等な社会という哲学的な意味での「自然人」状態が人間の理想であるという概念*1を、非キリスト教社会の描写に借りて表現した18世紀から19世紀にかけての欧米文学の一つの潮流を指す言葉である。

 

高貴な野蛮人を描いた代表的な作品に19世紀前半のアメリカの作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーの「皮脚絆物語」連作があるが、この連作の主人公ナッティ・バンポーは白人でありながらアメリカ原住民に育てられ、原住民と自然から授けられた智恵で移住民たちを助ける。

 

そのように、白人文明社会の理想としての原住民、という視点から見ると、デルス・ウザーラは「高貴な野蛮人」そのものだと思う。この感想は「デルス・ウザーラ」を最初に観た数年前から今も変わらない。デルスの中の「高貴な野蛮人」像はロシア人アルセーニエフ(この映画の原作者ウラジーミル・アルセーニエフ)が見出したものなのか、黒澤あるいはソ連サイドが独自に解釈したものかは知らない。ただいずれにせよ、一介の猟師デルスに寄せるアルセーニエフの絶大な信頼と民族を超えた友情に胸を打たれる。

ただこの後、デルスには悲劇が訪れるのだが・・・。

 デルス・ウザーラ (完全期間限定生産) [DVD]

デルス・ウザーラ (完全期間限定生産) [DVD]


*1:提唱者はジャン=ジャック・ルソーであるとされる。野蛮 - WikipediaNoble savage - Wikipedia, the free encyclopedia など参照