トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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土曜は寅さん!(8): 男はつらいよ 寅次郎純情詩集

ヒロインが不治の病で死ぬというストーリーは喜劇にはあまりないと思うが、「男はつらいよ」シリーズ第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(山田洋次監督・1976年松竹)ではマドンナ、柳生綾(京マチ子)の死によって寅次郞の恋が唐突に終わりを告げる異色の展開になっている。

 

綾は旧家の一人娘だが、家はすでに落ちぶれ、戦争成金と政略結婚させられるがまもなく病気を理由に離縁され、長い入院生活を経て屋敷に帰ってくる。綾の人物造形は「安城家の舞踏会」(吉村公三郎監督・1947年松竹)の没落華族メロドラマのようである。綾の娘、雅子(檀ふみ)がさくらの息子・満男の学級の産休補助教員になったことで寅次郞達とらやの面々と関わり合うようになる。

 

綾は長い闘病生活の末に退院したことになっているが、それは病気が回復したからではなく、医師が見放して最期を好きに生きさせるためだった。その秘密を雅子はさくらにだけ打ち明ける。そうとも知らず、綾の屋敷を訪ねたりピクニックに連れて行ったりと浮かれる寅次郞。とらやに招かれて下町の庶民の食事を楽しんだ綾は、みんなで綾のこれからの生活を夢見る。

   ねえさくらさん、あたしね、あなた方がうらやましくて仕方がないの。だって皆さん一人一人が、自分の力で生きてらっしゃるんでしょ。あたしはこの年になるまで、自分の力で一円だって稼いだことがないのよ。

   じゃ、これから自分の力でやればいいじゃありませんか。

さくら そうですよ。もうすぐ何だってできるようになりますよ。働くことだって、お金を稼ぐことだって。

   あたしが? あたし、そんなことできるができるのかしら。

(中略)

タコ社長  あのね、この近所に小さなお店持つなんて、どうだい?

   あら、お店?

寅次郞 社長、お前いいところ気づいたな。

おいちゃん なるほどねえ。

おばちゃん お店は良いわね。

雅子  お母様、どんなお店にする?

   そうねえ、何屋さんが良いかしら。ねえ、寅さん。

寅次郞 まず団子屋はダメ。もうからねえから。あと魚屋とか八百屋とか、においがしたり重いものを持ったりするの、これもダメな。あとは・・・

さくら じゃ、おもちゃ屋さんは?

   あらおもちゃ屋さん、いいわね。

おいちゃん これはどうです、文房具屋さん。

   それもいいわね。

綾にどんな仕事がふさわしいか、みんなでアイディアを出し合って談笑する側で、雅子は複雑な表情を見せ、さくらは台所に隠れて涙を流す。

 

それから間もなく、熱を出して休んでいた綾を、寅次郞は見舞いに訪れる。季節は晩秋、これから冬が訪れようとしている。屋敷の縁側のロッキングチェアで休む綾は、ふと寅次郞に問いかける。

   寅さん、人間はなぜ死ぬんでしょうね。

寅次郞 人間?ううん、そうねえ、まあなんて言うかなあ、結局アレじゃないですか。人間がいつまでも生きてると、陸(おか)の上がね、こう、人間ばっかになっちゃって、ウジャウジャ、面積が決まってるから、で、こうやってみんなで押しくらまんじゅうしてるうちに、足の置く場所もなくなっちゃって、隅にいる奴が、「お前どけ」なんてやるとあああ〜となって、海の中にバチャンとなって、アップアップになって、助けてくれ助けてくれなんつってねえ、死んじゃうんで。ま、深く考えない方が良いですよ。

   アハハ、おかしいわ寅さんて。アハハ。

こんなふざけた答えは、寅次郞でなければ「何よ人がまじめに聞いているのに!」と怒られかねない。寅次郞だから許される返し方だ。

 

しかしその会話を最期に、綾はやがて還らぬ人となる。借金の形に人手に渡る屋敷を引き払うため荷物を片付けている雅子を、寅次郞がふらりと訪ねてくる。雅子は新潟の小学校に転任するという。

雅子  あのね寅さん、とっても聞きにくいことなんだけど、お母様のこと、愛してくれてた?

寅次郞 えっ、そ、そんな、冗談じゃねえよ俺は。

雅子  違う?

寅次郞 違います。

雅子  でも、お母様はそう思ってたわ、きっと。最期の床についている時にね、寅さんに会えるときがまた来ることだけを楽しみにしてたのよ。

意識がなくなりかけたとき、あたし耳元で「お母様、早く良くなって寅さんに会いに行きましょうね」って、そう言ったら、お母様、嬉しそうな顔してこっくりうなずいたわ。

誰にも愛されたことのない、寂しい生涯だったけど、でもその最後に、たとえ一月でも寅さんという人がそばにいてくれて、それがどんなに幸せだったか、あたしにはよくわかるの。

嗚咽する雅子。黙り込んでしまう寅次郞。

この人はなぜ、肝心なときに肝心なことが言えないのだろう。

彼の行為の純粋さだけは言わずとも伝わるが、やはり寅次郞には決定的な一言が言えない。そんな自分の意気地のなさを、寅次郞はこの時だけは身に沁みて感じていたのだろう。

 

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