トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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実録阿部定

彼女のモノローグから、映画は始まる。

あたしは、自分でも数え切れないくらいたくさんの名前を使ってきました。

彼女はいちいち憶えてはいられないほど数十個の偽名を丁寧に一つ一つ挙げ、

でも吉蔵さんが死んで、やっと本当の名前、定に戻ることができたのです。

と呟き、「実録阿部定」(田中登監督・1975年日活)は始まる。

1936(昭和11)年、二・二六事件の記憶も生々しい東京。荒川の小さな待合*1の狭い一室で、駆け落ちした二人の男女が性戯に耽っている。料理屋の主人・吉蔵(江角英明)とその女中・加代と名乗っていた阿部定(宮下順子)。

 

指を咥える。血が滲むほど噛む。背中に息を吹きかける。耳を舐める。口にふくんだ酒を体にたらす。雨戸を閉め切り、空のお銚子が幾本も転がる密室の中で、外に出ることもなく夜も朝も昼も繰り返される情事を、長回しのカメラが捉え続ける。芸者(花柳幻舟)を呼んで小唄を唄わせてもそっちのけで乳繰り合う。

 

数日後、汚い部屋に呆れた女中が空気を入れ換えて掃除したいと申し出るが、定は雨戸を開けるなと言う。

吉さんの匂いが部屋から出て行くのが嫌なのよ。・・・外の光が邪魔なのよ。

 

この有名な台詞は、軍部が次第に台頭してゆく不穏な時代への抵抗というべきものではない。そもそも世間とか時代といったものは、二人の視界に入ってさえいないのだ。

 

吉蔵と定の快楽は次第にエスカレートしてゆき、媾合しながら交互に首を絞めるようになる。吉蔵に跨がりながら腰紐で首を絞める定。「吉さんが・・・あたしの中でピクピクしてる。」だが吉蔵は窒息死寸前になり、首にひどい痣ができてしまう。

吉蔵はいつまでもこの生活は続けられないので一旦家に戻ることをほのめかすが、定はもちん受け容れない。吉蔵は「俺が寝ている間に首を絞めてくれ」と呟き、眠りに落ちる。定はその言葉通り、吉蔵を腰紐で絞殺する。

 

吉蔵を自分だけのものにした定は、吉蔵の陰茎を包丁で切り取る。この場面だけ、畳は一面真っ赤に染められる。血文字で吉蔵の太股に「吉・定二人」、布団に「吉・定二人キリ」と書き、肩に「定」と彫り込む。定は布でくるんだ吉蔵の一物を懐に入れ、待合を後にする。

 

ここから定の逃避行と生い立ちが交互に語られる。畳屋の娘に産まれ、十五歳で大学生に処女を奪われてから男なしでは生きていなくなった定は、名前を次々と変えて芸者、酌婦、妾、カフェー*2の女給、と職と男を転々と渡り歩き、女中として奉公に入った料理屋で吉蔵と出会った。吉蔵はそれまでのどの男とも違う快楽を定に与えた。それは吉蔵にとっても同じだった。

 

この作品は、現実におきた事件をなぞる体裁をとりながら、数々の偽名をもつ代わりに何者でもなかった一人の女が、「二人キリ」の男と愛欲の限界を超えることで阿部定になる過程を描いている。締め切った部屋の中で果てなく繰り返す濃密な情事は、その意味で儀式だったのだろう。「実録阿部定」は、それまで猟奇事件の変態女としてしか語られなかった阿部定物語に初めて形而上的な高みを持たせた傑作であり、宮下順子の定は神聖ささえ帯びている。

 

潜伏先の旅館に踏み込んだ刑事に名前を問われ、定は清々しく答える。

私の名前?ええ、私が阿部定です。

 

*1:待合茶屋、または待合旅館。男女の密会に利用された。待合 - Wikipediaを参照

*2:戦前の「カフェー」は性的なサービスを提供する風俗産業であった。カフェー (風俗営業) - Wikipedia 参照