トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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激突!合気道

時代は大正の初め。和歌山の旧家に生まれ厳格な父に起倒流柔術を仕込まれ植芝盛平(千葉治郎)は弟子を率いて北海道開拓に赴く。

 

ある日植芝は北海組の飯場から脱走してきた少年をかくまったことがきっかけで一悶着になるが、北海組の雇われ用心棒で名取流空手の達人・名取新兵衛(千葉真一)に逆にコテンパンにのめされる。

このままでは武術家として収まりがつかない植芝、町に北辰一刀流の剣の使い手、奥田源蔵(大塚剛)を訪ね勝負を請う。奥田の剣と植芝の柔、植芝はここでも敗北を喫し己の未熟さを知る。

 

植芝は奥田から本田惣兵衛(鈴木正文)が警察の武術指導のため北海道各地を回っていることを教えられる。本田は旧会津藩士の家系、門外不出の四天流柔術の師範だがたいそうな変わり者で、滅多なことでは弟子を取らず、一技教えるごとに百円もの大金をせしめるという。

 

本田を訪ねて町に来た植芝は、植芝の村で世話をしていた女・みねが病に倒れ宿で寝込んでいることを知る。みねは乗合馬車の中で吐血し、居合わせた名取に手当を受けていた。植芝は本田に払うはずだった入門料二百円名取に持たせ、暖かい本州へと旅立たせる。

入門料を失った植芝、本田を拉致するように強引に村に連れ出し、妻のヘソクリを差し出して本多の弟子となる。最初は渋っていた本田だが植芝の執念に折れ、四天流柔術を伝授することになる。

 

植芝は電報で何度も和歌山からカネを送らせて技を乞い、ついに本田から免許皆伝の許しを得る。だがもう植芝にもカネは尽きており、免許料は払えない。「なに、カネはいらん。これと見込んだものに免許皆伝する時はカネはとらんのじゃ。カネを作らせたのも修行のためじゃ。お前からもらった入門料は全部取ってあるから返す」。そして四天流柔術の極意は「無心」にあると教える。これが後に植芝盛平が開く合気道の原点になる。

 


 

ここまでは「激突!合気道」(小沢茂弘監督・1975年東映)の前半。

これは合気道の開祖・植芝盛平(1883-1969)の青年期を描く作品である。

この時期、「燃えよドラゴン」(ロバート・クローズ監督・1973年アメリカ)に始まるカンフーブームに便乗した東映千葉真一主演で空手映画を次々と制作していた。千葉の実弟・千葉治郎(後に矢吹二朗と改名)の第一回主演作でもある「激突!合気道」は、カンフー・空手映画の傍流に位置づけられる作品ではあるが、アクションよりも武術家・植芝の求道者の側面に重点が置かれている。*1

 

話を植芝その人に移すと、植芝の合気道確立に影響を与えた人物は二人いて、一人は映画の後半に登場する大本教教主・出口王仁三郎。もう一人が映画では本田惣兵衛の名で登場した、大東流合気柔術の開祖・武田惣角(1859−1943)である。

武田惣角の生涯と人柄はWikipedia大東流合気柔術のページで辿ることができるが、決して有名とは言えないこの人物に注目したのは、安彦良和のマンガ「王道の狗」がきっかけである。

 

 

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「王道の狗」は日清戦争前夜の1889年、自由民権運動に荷担してテロ活動に加わり、北海道の監獄を脱走した少年・加納周助が時代の王道を求めて成長してゆく物語だが、和人によるアイヌへの非道に憤りを感じ、強くなりたいと願った加納が最初に教えを乞うのが当時北海道を訪れていた武田であった。武田は加納に三日間の集中的な特訓を課した後、プイと去って行く。

 

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講談社版「王道の狗」巻末に、同時代人で講道館柔道の創始者・嘉納治五郎と比較しながら記した武田惣角の解説があるが、これがなかなか面白い。生涯字を書かず、道場も持たずストリートファイトで合気柔術を広めてきた武田という男が、近代国家の建設に急ぐ明治という時代の文脈でどのように位置づけられたかがコンパクトにまとめられている。

 惣角は字を書かなかったが、惣角の身体には別系統の貴重な叡知が凝縮されていた。近代知とは位相の異なる 知の体系である。先人の繊細な身体的営みの積重ねが育んだ良質な身体文化の精華というべきものだろう。惣角はその最も優れた継承者であった 。この最高度の身体(合気の身体)が発現するものこそ大東流の極意といわれる合気の術ではなかろうか。

 その身体を得た惣角はその素晴らしい境地の存在を知らさずにはいられない。しかし周りを見渡せばそこから離れ、空洞化する光景しか見えない。それなら自ら出向いて直に見せつけ、ねじ伏せ、鞠のように投げ飛し、その 驚嘆の中に見出すしかない。その歴然としたものの存在を嫌というほど刻 みつけた 。惣角は相手の身体に書込むのだ。いい加減に目を覚ませ、何処を向いているのだ馬鹿者。惣角はどやし続けた。*2

 しかし武田が獲得し、広めようとした身体の叡智は、近代化に伴って生じた二つの痛みーー戊辰戦争西南戦争——でともに敗北を経験したことこそが出発点になっているのも、また事実のようである。

 

稀代の武術家ではあるが歴史上の華々しさとは縁がなかったこの武田惣角、映画ではどのように描かれるか楽しみにしていたのだが、 今ひとつ凄みに欠けていたのが残念であった。ふかしたジャガイモを旨い旨いと食らったり、子供の捕まえてきたヘビを怖がって階段に逃げたりと、ユーモラスな一面を見せているのは良かったのだが。

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*1:とはいえこの作品における千葉真一絶頂期の技のキレは素晴らしいの一言だ

*2:岩淵晋二「王道の武田惣角」、『王道の狗』1巻に所収