トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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女の一生(1962)

日露の戦場・旅順の陥落を祝う提灯行列が歩く中、通りの裏のボロ家で折檻されている少女、おけい(京マチ子)がいた。母を幼くして失い、父も日清戦争でなくしたおけいは折檻の末に叔父夫婦の家を追い出され、あてどもなく彷徨ううちに、誕生会を祝う歌声に誘われて、清国との綿花貿易で財をなした商人堤家の屋敷の裏木戸からふらふらと入り込む。奇しくもその日が自身の誕生日でもあった彼女の運命は、その時から回り始める。

 

しずを見つけたのは堤家の次男栄二(田宮二郎)。当主しず(東山千栄子)とその弟章介(小沢栄太郎)は、おけいの哀れな境遇に同情し堤家の養女に迎える。4年後、おけいに商才があることを見抜いたしずは、おけいに長男・伸太郞(船越英二)と結婚し、伸太郞が継ぐはずの貿易会社「堤洋行」を支えて欲しいと頼む。栄二に秘かに憧れていたおけいは、困窮から自分を救い出してくれたしずへの恩義から結婚を承諾し、栄二に貰った大切な櫛飾りを折って捨てる。おけいの結婚に反対した栄二は家を飛び出し、かねてより孫文の革命思想に心酔していた中国大陸に渡る。

 

まもなく亡くなったしずの期待通り、おけいは堤洋行の事実上の社長として豪腕を振るうが、結婚生活は崩壊していた。軍閥に取り入り中国の庶民を顧みようともしないおけいに伸太郞は反発し、会社を辞めて横浜に居を移し中国語教師となる。おけいの一人娘千栄(叶順子)は、陸軍軍人との政略結婚を拒否して父の元へと出て行き、おけいにも告げず音楽教師と結婚する。

 

昭和に入り、中国から栄二が突然堤家に帰ってきたという報せがおけいの元に届く。家路へ急ぐおけいの車を、警察の車が止める。

 

かつて愛し合っていたおけいと栄二の、20年ぶりの再会。だがおけいは開口一番、栄二に、大陸で何をしていたのか、何の目的で帰国したのかを詰問する。栄二は答えない。「それじゃ、あなたが向こうでなすっていたことは、私たちに知られてはまずいことだと思っていいのですね。」そして別室に待たせていた刑事に栄二を引き渡す。おけいが家族を刑事に売ったことを、千栄は非難する。

 

太平洋戦争が始まり、まもなく戦況は悪化、中国戦線の日本軍に依存しなければ商売ができなくなっていた堤洋行も苦境に陥る。そんなおり、久しぶりに伸太郞がおけいのもとを訪れ、夫の出征で家計が苦しくなる千栄と子供たちを引き取るよう頼み込む。おけいは承諾し、病を抱えていた伸太郞も家に戻ることを薦めるが、堤洋行を軍の御用企業と化し、配給では手に入らない物資を軍の便宜で回してもらっているおけいと伸太郎は再び諍いを起こし、それが元の発作で伸太郎は世を去る。

 

伸太郎の通夜の最中に、堤洋行の船が米軍の潜水艦攻撃で全て撃沈されたとの報せが入る。これがすでに苦しかった堤洋行に最後のとどめを刺すことになった。財産を売り払い、堤家には屋敷だけが残される。

 

そして敗戦。堤の屋敷は空襲で焼け落ち、ただ一人おけいの側を離れなかった章介も死んで、おけいはたった一人、屋敷の防空壕で暮らしていた。瓦礫を踏み分けて、屋敷に近づく足音があった。それは、思想犯として収容されていた監獄から解放された栄二の帰還であった。

 


 

女の一生」と題する文芸作品はいくつかあり、日本映画には詳細不明なものも含めて9本の「女の一生」が存在する*1

その多くはモーパッサンの小説を原作としているが、この「女の一生」(増村保造監督・1962年大映)は戦前から終戦直後にかけて活躍した劇作家・森本薫の戯曲を映画化した作品。杉村春子主演による劇団文学座の公演は900回を超え、杉村亡き後もキャストを変えて現在まで上演を行っている*2

森本薫の作品は著作権が切れており、Amazonでは青空文庫版をベースにしたKindle本を無料でダウンロードすることができるので、読みたい人はこちらかどうぞ(要Kindle端末またはiOS/AndroidKindleアプリ)。8月31日までにダウンロードすると、Amazonビデオレンタル200円引きのクーポンがもらえるキャンペーンをやっているそうだ。

女の一生

女の一生

 

 ついでにこれも紹介しておこう。同じ森本薫の手になるもので、増村保造と縁の深い若尾文子主演で10月に演じるそうだ。

華々しき一族

華々しき一族

 

 

原作の「女の一生」を読むと、八住利雄が脚色した映画版「女の一生」はヒロイン・おけいが堤家の家業を護るために次第に非情な女になってゆくさまを誇張するために、いくつかディテールを加えていることがわかる。

 

たとえば次男・栄二が20年もの音信不通の後に、堤の家に帰ったところをおけい自身の手で警察に引き渡すシーン。刑事に両腕を取られて家の裏木戸を出る栄二は、おけいに「20年前、僕は君をこの裏木戸からこの家に入れた。今度は僕がこの裏木戸から出て行く番だね」とつぶやく。

 

伸太郎の通夜のシーン。堤家の長女聡子と次女ふみは、自分達が会社から生活費を工面してもらい、おけいにたかって暮らしているにも拘わらず、兄・伸太郎を極貧の末に死に追いやったとおけいを非難する。その二人をなじる千栄もまた、おけいの言動に腹を立て、親子に超えがたい溝がある事を知ることになる。

 

終戦後、釈放された栄二が裏木戸をくぐって帰ってくるシーン。屋敷は跡形もなく焼け落ちたが、煉瓦造りの塀と裏木戸だけは40年の時を超えてなお残っていた。おけいは驚く。

 

「あなたを警察に売った私を恨んでいないの?」「恨んでたら帰ってきやしませんよ・・・あなたはお母さんの言いつけを守り、この家を護ってきた。もう自分の思うように生きてもいい。一緒にここを出ましょう。」
栄二は未だおけいを愛していることがここでほのめかされる。(森本薫の原作では、栄二は中国で結婚し妻子を残してきたことになっているが、映画版では独身を貫いたことが示唆される)

 

栄二に手を取られ、一度は裏木戸をくぐり抜けようとしたおけいは、やはりこの家に残ることを栄二に告げる。疎開先から千栄とその子達がここに帰ってくるはずだからと。栄二とおけいは再会を約束して別れる。

原作では栄二との対話でおけいが自身の生涯を振り返り、これからの日本の女性の生き方は変わってゆくだろう事を期待しながら、老境に達した二人がダンスの手を取る場面で終わる、という筋書きになっており、映画版から受けるラストの印象はかなり異なる。

 

映画版「女の一生」は、家業を護るために家族を失った女が、戦争で家業を失ったことで「家」の重みから解放されて家族を取り戻し、生き残ったものたちの和解と再出発を予感させるところで締めくくられる。ここには「美貌に罪あり」の記事で触れた増村保造的な家族の再生という主題が提示される。

この作品では約40年に渡り立ち続けた裏木戸が、おけいを縛り続けた家の重みのシンボリックなアイテムとして表現されている。

 

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