くちづけ(1957)
拘置所で偶然知り合った若い男女が恋に落ちるまでの二日間。「くちづけ」(増村保造監督・1957年大映)のプロットはそれだけである。
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選挙違反で捕まった父の面会に小菅の拘置所を訪れた大学生の欽一(川口浩)は、所内の売店で差し入れ品のお金が足りなくて困っている章子(野添ひとみ)を見かける。売店のオバサンの横柄な態度にカッとなった欽一は、「これでいいんだろ!あんたも商売やってるんなら、もう少し愛想良くしたらどうだ!」と自分のお金を叩きつけ、お釣りも受け取らず出て行く。お釣りを持って追いかける章子を振り切って、欽一は家路を急ぐが、章子も負けていない。どこまでもついて行く。
「これ、お釣りです。借りたお金もなるべく早く返しますから、名前を教えて下さい」
「返さなくていいよ」
「困ります、教えて!」
欽一は意地っ張りだが、章子はもっと意地っ張りである。そこで欽一はお釣りを競輪で賭けて、勝ったら二人でパーッと使う、負けたらそれきり別れようと提案する。そして(もちろん)二人は競輪で大当たり。浮いたお金で夏の今日一日、何もかも忘れて遊び回ることに決める。ここで初めて、二人は互いの名前と住所を知る。
欽一は友達からバイクを借り、二人乗りで江ノ島まで飛ばす(このシーンの疾走感が素晴らしい)。水着を買い、海で泳ぎ、生まれて初めてのローラースケートを履いてスッテンと転ぶ。やがて日が暮れ、二人はバーでダンスを踊り、欽一のピアノで歌う章子に言い寄ってくる大沢(若松健)とケンカする。
大沢に殴られた欽一に、章子は屋台のビール越しに唐突に尋ねる。
「ねえ、聞きたいことがあるの。あなた、あたし好きなの?」
「変なこと聞くなよ」
「ちっとも変じゃないわ」
「今日一日付き合ったじゃないか」
「じゃあ愛してくれてるの?」
「どうでもいいよ、そんなこと」
自分の気持ちに正直すぎる章子と、ひねくれた欽一の会話は噛み合わないまま、別れる。
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翌日、章子は結核の療養所に母を訪ねる。そこで看護婦から、父の健康保険が切れているから来月から入院費が二倍になると告げられる。母は父が見舞いに来ないことを心配している。章子は母に告げることができないでいた。父が会社のお金を使い込んで拘置所に入っていること。使い込んだお金の十万円を会社に返さなければ、告訴取り下げになって母に見舞いにも来ることもできないこと。だが美術のヌードモデルで生活費を稼ぐのがやっとの章子には、そんなお金は工面できそうにない。
欽一もまた、十万円というお金が必要だった。父の保釈金である。欽一は三年前に父と別れ、宝石のセールスで羽振りの良い暮らしをしている母を訪ねる。「お金を貸して欲しかったら、宝石のように値打ちのある男になりなさい」と断る母に、欽一は「オレの未来に投資してくれ」と頼み、十万円の小切手を受け取る。
章子は、モデルの仕事先ーー美術家である大沢の父ーーで大沢と再会し、お金の工面を頼む。もちろんそれは、大沢の言いなりになるということを意味する。
欽一は手にした十万円で弁護士の元に駆けつけるが、選挙違反の常連である父の保釈を検察が許可しないことを知らされる。せっかく苦労して手に入れたのに、宙に浮いてしまったお金。その時欽一は、章子もまた、父親の告訴取り下げのために十万円が必要だったことを思い出す。ところが欽一は章子の住所を書いたナフキンをどこかに落としていた。
夜、章子のアパートに大沢がやって来て、約束の金をエサに章子をものにしようと襲いかかる。そこに間一髪、やっとのことで章子の居所を突き止めた欽一が飛び込む。大沢はまたしても欽一を一方的に殴りつけるが、欽一の気迫に押されて退散する。そして章子に小切手を押しつけて立ち去ろうとする。章子は欽一の後を追う。
「待って下さい!なぜあたしに下さるの? なぜあたしに親切なの? あたしが可哀想だから、惨めだからなの、ねえ? はっきり理由を言って!」
「理由がないと受け取れないのか!」
激高しながら章子にキスする欽一。「これで理由ができただろう!」
号泣する章子。思わず謝る欽一。
「そうじゃないの!どうして愛してるって言ってくださらないの・・・言ってくれたっていいはずよ・・・」
「・・・好きだよ。大好きだよ」
欽一と章子は抱擁し、再びキスを交わす。
増村保造の描くヒロインは、自分の気持ちにどこまでも忠実で、男の愛にすがるのではなく、男に与えるのと対等な愛を求める。この点はヒロインにどの女優を起用しても大きく変わらない。それが増村は日本映画としては特異な、自立した女性像を描き続けたと言われる理由である。「くちづけ」で野添ひとみが見せる激しい大胆さは、川口浩のぶっきらぼうですねた外面を剥ぎ取り、素直で優しい内面をむき出させる。ここまで女性主導の恋愛映画を作るものは、その後も増村以外長く居なかったのではないか。
ところで、この作品では男が女に金を無造作に渡し、女が金を返そうと男の後を追いかける場面が初めと終わりで繰り返される。これが物語のシンプルなプロットに、心地よい反復の味付けを加えている。