トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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発禁本「美人乱舞」より 責める!

高校時代の倫理社会の授業は退屈で、覚えていることはほとんどないが、教科書の挿絵のニーチェの肖像画はいまも思い出すことができる。狂気の淵に沈んだ晩年の、ベッドから窓の外を眺めるかつての大哲学者の静謐な横顔をスケッチしたものであった。

 

「発禁本「美人乱舞」より 責める!」(田中登監督・1977年日活)の冒頭のシーン、縛られ天井から吊され、失禁を床にたらすヒロイン・タエ(宮下順子)に浮かぶ空虚な表情は、まさにそのニーチェの肖像を思わせるものがある。

 

*

 

大正15年、女房に逃げられたばかりの伊藤晴雨(山谷初男)*1と、夫に捨てられたばかりのカフェーの女給タエは、出会ってすぐに意気投合し共に暮らし始める。

「責め映えのある顔してやがる・・・」その当時既に著名な責め絵師であった晴雨は、タエのマゾヒストの性向を見抜いていた。その日から晴雨によるタエの調教が始まる。

 

タエは晴雨の前妻に嫉妬していた。

「こんなこともやったのね、前のカミさんと・・・」
「まだまだ、やらせてもらうぜ」
「あんたの気が済むまで・・・」
「かわいいこと言ってくれるじゃねえか」

珍しく雪の積もったある日。

「雪ね。きっとこんな日だったのね、あんたの前のカミさん雪責めにしたの。あたしも縛ってよ、前のカミさんの時みたいに」
「本気なのかい。始めたら途中でやめねえぜ」

雪責めーー雪の降り積もる中、襦袢一枚で歩き、氷の張った沼につからせ、木に縛りつける責めだ。唇を紫にして被虐に浸るタエ。

 

だが晴雨とタエの生活は永くは続かなかった。ある夜、タエは発作を起こして晴雨の画や写真を手当たり次第びりびりに引き裂く。タエを診た医師は先天性の脳梅毒だと言った。治る見込みはないと。

北陸の田舎からタエの母親が出てきて、変態行為のせいでタエが狂ったのだと晴雨を責めるが、治すあてもわからない。タエの母は、「憑きもの」を落とすためにもう一度彼女を責めてくれと懇願する。

井戸に漬ける。縛って吊す。「何の因果か。オラのか、お前のか・・・」

タエは一時正気を取り戻したように見えた。だがフラリと出かけて「豆腐を買いに行っていた」と言うタエの手の、買い物桶には生きた蛇が入っていた。

晴雨はタエの脳梅毒が妊娠中の母子感染によるものだという真実を告げる。母は失意のうちに晴雨の家を後にする。

 

晴雨は、今度は自らの意志でタエに被虐の悦びを思い出させるため、もう一度タエを縛り、ロウソクをたらす。だがもう、狂気の奥底に沈んだタエに苦悶の表情は浮かばない。焦点の合わない目でどこかを見ているだけであった。

やがてタエは息を引き取る。アトリエ=責め場に横たえられた彼女の遺体に並んで寝そべった晴雨は、はじめて自身のサディズムの原体験ーー少年の日に見た、きれいな着物の女が縛られ、髷を切られ、殺される見世物の幻想ーーを語って聞かせる。

 

遺体は焼かれ、晴雨はアトリエにひとりぼっちで佇んでいる。晴雨のモノローグがかぶる。

「あとになって、千載の好機を逃したと思ったね。せっかく死んでしまったものをそのまま棺桶に入れてしまったことでね。できることなら死体を色々な方法で縛って、あらゆる角度から撮影して・・・」

 

*

 

SMの映画だが、タエの病気が発覚してからの後半の展開には、「責め」からその遊戯性が失われ、彼女を狂気の彼方から呼び戻す治癒のための、「祈り」の行為として描かれる。だが無論、そのようなことでタエの母の、そして晴雨自身の願いが叶うはずもなく、タエの魂は既に闇に沈んでしまい、目に生気が戻ることはない。

晴雨はタエの遺体の側に横たわり、自らの人生を語りかけ、静かに涙を流す。ここに至って、晴雨とタエの間には間違いなく深い愛情が存在したことがわかる。肉体の責めを通じた心の交感が確かにあったのだ。

それは、晴雨が、焼く前に遺体を縛っておけばよかったと思い出す場面からも示唆される。緊縛画家の晴雨に縛ることをふと忘れさせたもの、それはタエを失った悲しみ故に他ならないだろう。

 

この作品は、タエがすでに狂気に陥ったところから語り起こされる。冒頭の宮下順子の虚ろな表情はショッキングであり、悲しくもあり、崇高でもある。

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*1:伊藤晴雨(1882-1961)は、戦前から戦後にかけて活躍した画家、演劇評論家。女性の緊縛画(責め絵)を得意とし、数多くの作品を残す。その生涯については http://smpedia.com/index.php? title=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%99%B4%E9%9B%A8 など参照。
この作品のヒロイン・タエは晴雨の3番目の妻とし子をモデルにしている