トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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ドミニカ行きの飛行機の機内で「自分は今エボラ出血熱に感染している」と冗談を言ったアメリカ人男性が、着陸先で当局に連行されるという事件が起きた。*1

エボラの感染・死亡者が出てパニック状態のアメリカではさすがにこれは冗談では済まなかったようだ。そうでなくても密室の機内でこんなことを言うのはおふざけがひどすぎるというべきだろう。

 

ところがこういう不穏当発言が主人公のピンチを救う場面はサスペンス映画では案外よく見かける。その一つが「首」(森谷司郎監督・1968年東宝)だろう。

*

昭和19年2月、弁護士の正木(小林桂樹)は混雑する常磐線で水戸から上野へと急いでいた。 手荷物は蓋付きバケツを包んだ風呂敷、バケツの中身は、死体から切り取った首だ。

 

遡る1月の末、茨城の炭鉱で先山(鉱夫頭)の奥村が警察署で留置中に死んだ。奥村は花札賭博の嫌疑で取調べられていた。死亡診断書には「脳溢血(推定)」と書かれていた。炭鉱の申し出で死因に不審な点があると見た正木は検事局を司法解剖をせっつかせるが、逆に検察に根掘り葉掘り問いただされる。

 

現地に出向く列車の中で、同行した鉱山長の滝田静江(南風洋子)から、「昨日司法解剖を行った」という検察の電報を見せられる。慌てて解剖したとしか思えない。現地に出向くと、解剖所見はやはり「脳溢血」であったことを聞かされる。

 

このことで、正木は却って奥村は警察で殺されたとの疑いを深める。滝田の炭鉱は、闇物資の上納で競合会社と癒着した警察から度々嫌がらせを受けていた。警察はおそらく架空の罪をでっち上げ、奥村を拷問して殺したに違いないのだ。信頼していた検察も権力で証拠隠滅を図ろうとしている。木枯らしの吹くなか、正木は奥村の墓前で静かに怒りの炎を燃やす。

 

「じゃあここへ、その首だけを持って来たらいいじゃありませんか」

相談した東京帝大の解剖学の南教授からの意外な言葉に正木は耳を疑う。警察の許可なく墓を掘り起こし、遺体を損壊すれば刑法違反だ。正木が告発状をちらつかせて司法解剖を迫った検察には、マークされて尾行がついているかも知れない。何より、そんな危険を冒して持って来た首の鑑定結果が、もし本当に脳溢血だったらどうする? だが奥村の遺体が腐り、再鑑定が出来なくなる前に一時間でも早く証拠を押さえるにはその方法しかない。

 

翌朝、正木は諦めかけていたのを説き伏せた滝田静江と、南の解剖助手中原(大久保正信)とともに、茨城へと向かう。中原は行き先も、目的も知らされていない。

吹きすさぶ雪、滝田鉱山の鉱夫たちが見張る中、中原の協力でやっとの事で首をバケツに入れに入れギリギリ上野行きの汽車に飛び乗った正木たちであったが、車中では官憲が闇物資の取り締まりをやっていた。バケツを開けさせられたらアウトだ。警官は次第に近づき、正木の風呂敷の前で立ち止まる。

「これは誰のものだ?」
「私のものです」
「中に何が入っている?」
「闇物資じゃありませんよ」
「そんなことは聞いていない!開けてみろ!」

窮地に陥る正木。そこに中原が機転を利かせる。

「こりゃ買い出しの品じゃありません」
「何が入っているんだ!」
人間の首だよ
「バカにするのもいい加減にしろ!」
「汽車に乗るまではそうでもなかったが、この暖かさでムカムカするような臭いがするでしょうが!」

周りの乗客が合いの手を出す。

「こりゃ魚だよ。魚のはらわたの腐った臭いだよ」どっとウケる乗客たち。
「妙なもの持ち込みやがって。じゃあデッキに出ろ!ほかの者の迷惑も少しは考えろ!」
「ウチの畑の、肥やしにでもと思いまして」弁解しながら客室を出る正木たち。

*

こうして無事東京に戻った正木は首を早速東大の法医学研究室に持ち込み、死因は頭部への激しい暴行であるという鑑定結果を手に入れる。

 

その後の顛末は映画では触れていない。映画の素になった事実としては、正木弁護士は拷問の主犯である巡査部長と脳溢血の診断書を書いた警察医を告発、終戦をはさんで昭和30年に巡査部長に懲役3年の有罪判決が下されている(警察医は不起訴)*2。映画は鑑定の後、ホルマリン漬けにされた首が保管先の慶應義塾大で空襲に遭い焼失する様を描くだけである。

太平洋戦争が終わればこんな酷いことはなくなると正木は期待していたが、戦後も大して世の中は変わらなかった。そして正木自身も、戦時中と変わることなく法の下の正義のために戦い続けていることを示して映画は終わる。

 

人間の首などという物騒な荷物を抱えて汽車に乗り込んだ正木のピンチを救ったのは、「これは人間の首だ」という事実の一言だった。警官は闇物資の取り締まりにしか注意が向いていなかった。そこに予想外の一撃を食らわせて、事実を冗談だと思わせることにまんまと成功したのだ。この作品の最も面白い場面である。

 

それにしてもこの「首」という作品は、正木弁護士を演じる小林桂樹が、序盤のサラリーマン然とした容貌から、事件の核心に近づくに連れて鬼気迫る表情になってゆく変わりようが凄まじい。自分で自分を追い込んでいるようにも見える。死体が腐る前に再度鑑定して早く証拠を掴まないと、事件は永久に闇に葬られてしまう。自分の魂も腐ってしまう。何とかして死体を押さえなければ・・・そのジリジリとした焦りと気迫が眼鏡の奥から伝わってくる。 

 

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