トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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寅さん漬け

とっくに放送は終わっているんだが、録画しっぱなしで半年以上見ていなかったBSジャパン「土曜は寅さん!」を数日かけて12本まとめて見た。第24作「男はつらいよ 寅次郞春の夢」(山田洋次監督・1979年松竹)から第36作「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」(同・1985年松竹)まで。

 

マンネリなのは判っていることなのでいいのだが、寅次郞(渥美清)は永遠不変のフーテンでも、寅次郞の周りは変わっていく。

 

さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は、江戸川の近くに小さなマイホームを建てた。一人息子の満はキャストが吉岡秀隆になり、中学生になった。思春期はもう目の前だ。

 

博のマイホームのリビングには、パソコンが鎮座することになった。死んだ博の父(志村喬)の自宅を処分して、余ったお金で満に買ったものだ。満はキーボードにポチポチ何か打ち込んでいたが、間もなくブラスバンド部でフルートに熱中するようになる。そのままパソコン少年になっていれば、IT起業家になっていたかも知れないが・・・

 

タコ社長(太宰久雄)の朝日印刷も時代の波でオフセット印刷機を導入し、いつの間にか社長に秘書・ゆかり(マキノ佐代子)がついた。秘書と言っても給料袋を配ったり、電算のオペレータをやったりと事務職を全部やっている感じだ。ところでこのマキノ佐代子さんという女優、不勉強で名前をクレジットされていてもどの役だか判らなかった。

名前からピンとくると思うが、彼女はマキノ雅弘と三番目の妻、登喜子の長女。母は鳳弓子という名の東宝の新人女優であったが、結婚と共に引退した。この時雅弘44歳、弓子22歳。マキノ雅弘の自伝「映画渡世・地の巻」によると、懇意にしていた京都の占い師が言い当てた結婚だという。

 

タコ社長の娘・あけみはそれまでスクリーンにでることはなかったが、いつの間にか大人になって美保純をキャストに迎え、めでたく嫁入りしたはいいものの、夫婦ゲンカを度々やらかしてはとらやに出戻ってきて「寅さんに会いたいな」とつぶやく。

 

その寅次郞は相変わらず風の吹くまま気の向くままで、駅のベンチやお寺の庭で寝転がっては、お馴染みの夢を見る。夢のシーンでは松竹唯一の怪獣映画「宇宙大怪獣ギララ」 (二本松嘉瑞監督・1967年松竹)のギララを撃退したり、日本人初の宇宙飛行士に選ばれたりと大活躍。

 

夢から醒めても一度恋に落ちるとポーッとなってしまう寅次郞、佐渡島で知り合った演歌歌手・はるみ(都はるみ)に惚れてしまい、電気屋でウォークマンを手に取り、はるみの歌をエンドレスでかけながらフラフラと柴又を徘徊。寅次郞の恋ごころを表現するガジェットも80年代ぽくなった。

 

そういえば、その第31作「男はつらいよ 旅と女と寅次郞」(山田洋次監督・1983年松竹)で寅次郞とはるみを佐渡に乗せてゆく漁船の漁師に「発禁本「美人乱舞」より 責める! 」の山谷初男が扮していて少し嬉しくなる。脇役と言えば、下條正巳の前に「とらや」のおいちゃん役を演じていた松村達雄は寺の住職、大学教授、定時制高校の教師と役名を変えて度々登場。

 

定時制高校や島の小学校といった「教室」の作る人の繋がりは山田洋次の気に入りのテーマのようだ。「男はつらいよ 寅次郞かもめ歌」(同・1980年松竹)では学ぶことの楽しさを知った寅次郞も定時制高校に入ろうと願書を出すが、教師の松村達雄は願書を、申し訳なさそうにさくらに返す。寅次郞は中学を卒業していないから、入学資格がないのだ。

 

何も変わっていないように見える寅次郞も、もう人生をやり直せない年にきていることには気がついている。第28作「男はつらいよ 寅次郞紙風船」(同・1980年松竹)では自信満々で受けたセールスマンの就職試験にさえ落ちてしまう。だから第34作「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郞」(同・1984年松竹)ではまだ若くフラついている風子(中原理恵)に「カタギになれ」と叱咤する。自分のように侘しい身になる前に、地に足をつけて暮らせと。

 

もっとも、定職に就くことがそれだけで幸せとは限らないことは今や常識だが、80年代にもその萌芽は現れている。女房に逃げられたサラリーマンも、激務に疲れて家出したサラリーマンもこの時期の「男はつらいよ」には登場する。男のつらさも色々なのだ。

 

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