トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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あゝ決戦航空隊

12月14日の衆議院選挙の投票日を前に、維新の党の橋下徹共同代表が早くも白旗をあげたとも取れる演説をしたらしい。ブロガーのやまもといちろうは「大将は間違っても部下の背中を撃つような話をするべきじゃないと思う」とぼやいている。

維新の党に期待することは何もないので、やまもと氏がどう思うかについては特に興味はない。ただ面白い、というと語弊があるがアンテナにかかったのは次の一節だ(下線は引用者による)。

確かに今回の選挙では維新自体は現有議席に遠く及ばない結果になりそうであることは分かっているんですが、こういうのって一番大事なのは「負け方」なんですよね。最後まで戦い抜いて、全力でやって負けて、そこでようやく次の展望が拓ける。風頼みでない選挙戦が戦えるような組織作りをすることが、本当は維新のような地域政党から国政に打って出る党には必要だったのではないか? と思うわけですが。

 

ここからはいつもの映画の話である。

やまもと氏の言う「最後まで戦い抜いて、全力でやって負けて、そこでようやく次の展望が拓ける」ことを、この国がかつて経験したことのない極限状況下で必死に訴え続けた人物がいたことを思い出した。

大日本帝国海軍中将、大西滝治郎。

海軍航空隊のトップであり、特別攻撃(特攻)の立案者である。フィリピンと台湾で数多の特攻パイロットを見送った後海軍軍令部に仕官、終戦後まもなく、腹を十字にかっさばいて果てた。

 

その大西中将の、特攻の開始から自死に至るまでの苦悩を描いた作品が「あゝ決戦航空隊」(山下耕作監督・1974年東映)である。断っておくと、これから述べる大西滝次郞は「あゝ決戦航空隊」を通して描かれる大西像であり、いわゆる「史実」と異なる可能性は否定しない。

 

 

物語は1944(昭和19)年、フィリピンの第一航空艦隊司令への赴任を前に、大西(鶴田浩二)はかねてより構想していた航空機による体当たり攻撃の可否判断を自分に一任させて欲しい、と海軍大臣米内光政(池部良)に申し出るところから始まる。

ミッドウェイの大敗以降敗走を続ける日本海軍に、残された戦場と戦術の選択肢は少なくなっていた。レイテ島に上陸したマッカーサーの部隊を沖合からの艦砲射撃で粉砕する「(しょう)一号作戦」支援のため、米空母の甲板を250キロ爆弾を積んだ攻撃機の体当たりで破壊し、敵の航空攻撃再開までの時間を稼ぐ。熟練パイロットの殆どを損耗し、練度の低い若年パイロットしか残されていなかった当時の航空兵力にできるのはそこまでであった。大西の立てた戦術は、そのような合理的計算に基づくものであったし、若い戦士に死に甲斐ある場所を与えることでもあった。大西自身はこの作戦はフィリピンでの一戦限りと心に決め、諸君の戦果は追って自らが報告にゆくとパイロット達に訓示する。

 

やがて大西が自ら手を取って見送った体当たり攻撃部隊「神風(しんぷう)隊」の戦果がマニラの大西の許に届く。電文をじっと見つめた大西は部下に命じる。

大本営に報告。昭和19年10月25日神風特別攻撃隊敷島隊は午前10時45分スルアン島北東30海里の地点にて、空母4を旗艦とする敵機動部隊に対し奇襲に成功。空母1、二機命中、撃沈確実。空母1、一機命中、大火災。巡洋艦1、一機命中、撃沈。以上。いいな、一機命中、二機命中だぞ。わかるか。一機、二機だぞ」

 

神風隊の命を賭けた攻撃は報われた。しかし連合艦隊はレイテ沖海戦で敗れ捷一号作戦は失敗、立案者の大西自身「統率の外道」と呼んだ特攻が戦果を挙げたという事実だけが大本営の中で一人歩きをはじめる。やがて特攻はフィリピン防衛の非常措置から軍の正式な「作戦」として採用されるに至る。1945(昭和20)年1月、大西に台湾への転進を命じる連合艦隊司令が届く。大西は呟く。「まだ死ねんのか…」

 

「特攻隊をその手で送り出しながら、今フィリピンを去ろうとしている大西長官、あなたは卑怯者だ」

将校の非難を浴びながら台湾へと飛んだ大西は、「死ぬことが目的ではないが、各自最も効果的に敵を殺せ。最も効果的な死を選べ」と鼓舞し、特攻隊を送り出す。しかし米軍の対抗策により特攻の成功率は落ちて行き、速成パイロットが徒らに命を散らすばかりになる。その責任、非難は大西に集まり、大西は職を解かれ、海軍軍令部次長として内地に帰還する。大西が握手し、飛びだたせた特攻隊員、その数614人。

 

もはや敵の本土上陸がいつになるかが軍令部内で議論される敗色濃厚な戦局下、大西は人命損耗率の高い戦闘は忌避する米軍の戦い方を逆手に取り、特攻による執拗な反撃で敵の士気をくじく戦術を提唱する。

「本職は、いかなる事態に立ち入ろうとも、今一度勝負を賭ける覚悟である。この一戦は絶対負けてはならん。それが先に逝った者達に対するただ一つのはなむけである。我々には徹底抗戦あるのみであることを肝に銘じて忘れるな」

 

6月、100万を超えるソ連兵が満州国境に集結しつつあるとの情報が入り、動揺した陸軍が和平の方向を模索し始める。その根回しをしているのは、米内海軍大臣の一派であると、大西は児玉機関の児玉誉士夫(小林旭)から聞かされる。大西は宮中の最高戦争指導会議の場に無断で乗り込み、米内に戦争継続を必死で訴える。

「日本は勝ちます。必ずや勝ってみせます。あと二千万、二千万人の特攻が出れば必ず勝てるのです。みんなが一人一人、知恵を絞れば必ずや良策が生まれます。私も考えます。今少し、時間を下さい」

「言いたいことがあったら、大臣であるこの私に言えばいい。それが宮中に入る恰好か」

「失礼いたしました。しかし大臣、無量何万という英霊に報いるために、せめて勝利の中での和睦を」

英霊に報いるために、特攻を出す。その霊に報いるために、また特攻を使う。果てしのない滅亡の途ではないか」

「それでもやらなければならんのです。何人死ぬかということではありません。私が申し上げているのは精神です。ここまで血を流してきた日本民族の精神は、最後まで守り通さなければならんのです」

 

8月、日本は軍強硬派を鎮めるためポツダム宣言を黙殺、米軍はその機を逃さず広島と長崎に原子爆弾を落とす。大西は軍令部の高松宮を通して天皇に戦争継続の上奏をはかるが、必勝の策がないことを理由に拒否される。

「次長、もはや万事休すです。今次長がおやりになるべきことは一刻も早く海軍の内部を収拾することではありませんか」

「そうですか。あなたもそう思いますか。だけど、どうやったら収拾できるんですか。国民も、死んだ者も、みんなが納得できる負け方というのは。
この戦争はね、国民が好きで始めたんじゃないんです。国家の戦争なんですよ。国と国との戦いということは、国家の元首の戦いということなんですよ。日本は、そこまで死力を尽くして戦ってきたんですか。
負けるということはですよ、天皇陛下御自ら戦場にお立ちになって、首相も、閣僚も、我々幕僚も、全員米軍に体当たりして斃れてこそ、はじめて負けたと言えるんじゃないんですか。和平か否かは、残った国民が決めることです。
私はそうなることを信じて特攻隊を飛ばしたんです。特攻の若い諸君も、それを信じたからこそ、喜んで散ってくれたんです。何人の者が、特攻で死んだと思いますか。2600人ですよ。2600人もいるんですよ。こいつらに、こいつらに、誰が負けたと報告に行けますか」

 

8月14日、皇居地下で行われた最後の御前会議で、政府は連合軍に無条件降伏、そのため天皇が自ら国民に呼びかけることを決定する。御前会議の後、米内の部屋に大西が招かれる。

「陛下より、いただいたお菓子だよ。一つずつ食べよう」

米内はそう言って、菊の形の白い菓子を大西に渡す。

 「他の誰よりも、この米内が一番よくわかっている。軍人としてなら、君の主張は一理も、二理もある。だがね、いつかは誰かが『この戦争はやめよう』と言いださなければならなかったんだ。もし米軍のほかにソ連軍が本土に上陸したら、日本はドイツのように分割占領されることになるだろう。そうなったら君の言う民族の魂も二つに分裂して、争うようになるかも知れん。
確かに、降伏するということは、明治以来の我が国体の本義に背くことになる。陛下の御聖断は誤った道かも知れん。しかし今、陛下お一人の過ちを問うことよりも、六千万の国民を救うことが先決であることは、君も同感だろう。
本日、御聖断をその天の声として受け容れてくれんか。しかし、どうしても君が抗戦を主張するなら、私は君を斬るしかない」

大西の声は震える。

「わかりました。抗戦は断念します」

「さあ、いただこう」

黙して菓子をほおばる米内と大西。しかし大西の全身は震え、ほおばった菓子でとめどなくあふれる嗚咽の声を押し殺している。

戦争は終わった。

8月16日、大西はフィリピンで散った特攻隊員に約束したとおり、戦争の帰結を報告し、また尚抗戦を主張する厚木航空隊を諫めるため、死者の魂の元へと向かう。 

 

*

 

大西中将の「二千万人特攻論」は精神論が横行していた軍部の中でさえ、狂気の沙汰ともいえるものであったが、笠原和夫がこの作品のシナリオを書くにあたり児玉誉士夫に取材したところ、「大西さんの(二千万人特攻論の)直意は、天皇陛下自ら最前線に立って玉砕していただきたいということだったと思う・・・この戦争に責任を持つ全ての成人男子のすべてが死ななければ、民族の蘇生などはできない、というのが大西さんの結論だった。二千万人特攻論はそのための名目だった」と述べている。笠原和夫はこの思想をほぼそのままシナリオに反映している。

 

天皇を護るべき軍人が天皇の死を望むとは何たることか。だがそれが、天皇の名の下に数多の特攻兵の命を散らした大西の考え得る無上の鎮魂であったのだろう。大西は軍人としてあまりに純粋すぎた。米内と違って政治家ではないのだ。それゆえ、8月14日のポツダム宣言の受諾という事態は如何なる事情があれ受け容れられなかった。それは日本が勝てなかったからではない。のが受け容れられなかったのだ。その心情を、天皇に下賜された菓子を頬張るという仕草で全身から表現する鶴田浩二の鬼気迫る演技が胸を打つ。

 

全力でやって負けて、初めて次の展望が開けると言うやまもといちろう氏もここまで極端なケースは考えていないだろうが、負けるということへの覚悟は、軽々に口にすべきではないという点で同感である。

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