トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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まむしの兄弟 恐喝三億円

「兄貴、3億の半分言うたらなんぼや?」
「アホウ、そないなこともわからんのけ。1500万やがな」

神戸・新開地の「一度食いついたら死んでも離さない」まむしことゴロ政(菅原文太)と勝(川地民夫)のチンピラコンビが暴れ回る「まむしの兄弟」シリーズの6作目「まむしの兄弟 恐喝(かつあげ)三億円」(鈴木則文監督・1973年東映)は、兄貴分・ゴロ政と弟分・勝のコミカルなやり取りと痛快な立ち回りに「母」という主題を加える。それは序盤、九州の刑務所を出所して神戸に帰ってきたゴロ政が、母の日のカーネーション配りの少女に出くわす場面から明らかになっている。お母さんがいる人は赤いカーネーション、いない人は白いカーネーションを。ゴロ政は白いカーネーションを買う。

 

*

 

いつもならムショに出迎えに来るはずの勝が来ないのを不審がったゴロ政は、勝が当たり屋に失敗して入院したことを知る。当たり屋の相手は神洋商会の香港商人・李陽徳(河津清三郎)の娘・麗花(堀越光恵)。ゴロ政と勝は、暴力団安武組組長・安武(渡辺文雄)と李の商談の場に乗り込み、慰謝料3百万円の小切手とゴルフボール1個をせしめるが、二人を送り届けた李のボディガード・マオ(松方弘樹)にコテンパンにのめされ、ゴルフボールを奪い返される。ゴルフボールには3億の大取引となるヘロインのサンプルが仕込んであったのだ。

 

寡黙で感情を顔に出さないマオは、李の半ば奴隷として虐待され、こき使われていた。マオの本名は広津健、戦時中上海で慰安婦をしていた母が5円で幼い我が子を李に売り渡したのだ。日本人でも中国人でもない無国籍者マオの母の記憶は、財布に忍ばせた雑誌の切り抜き一枚だけ。いつしか麗花はマオを愛するようになっていた。

 

やがて李と安武組の取引日が訪れる。マオは意を決し、ひとり李に叛旗を翻して3億のヘロイン強奪を企てる。麗花は父とマオとの板挟みで、マオについて行く決意をする。だがまだ手が足りない。麗花はゴロ政と勝を男と見込んで手助けを依頼する。マオの傲岸不遜な態度に一度は話を蹴るゴロ政だったが、マオが大切にしている母の写真を見たゴロ政はマオの真意を読み取り、ヘロイン強奪に協力することになる。

 

ゴロ政と勝、マオと麗花は二手に分かれ、ゴロ政達は伊丹空港でヘロインのトラックを奪い取る。ヘロインが奪われたことを知った李は安武組に救援を頼む。安武組の追っ手からしこたま銃弾を撃ち抜かれながらもマオとの待ち合わせの場所に辿り着く。マオは実のところ、ゴロ政と勝を消すつもりでいた。「日本人は信じるな」と李に何度も教え込まれてきたからだ。だがマオを信じてハチの巣になったトラックで駆けつけたゴロ政に、マオは初めて人を信じることを覚える。

「まむしの、オレはあんたを裏切るところだった。一生忘れねえぜ」
「ワイは白やけど、ワレは赤や。中国行ったら、二人で親孝行すんのやで」

ゴロ政はマオにカーネーションを渡す。去って行くマオと麗花のオープンカー。だが道路の先には、安武組一派がマシンガンで待ち構えていた。

 

マオと麗花の逃避行はあっけなく終焉を迎えた。3億の賭に負けたマオと麗花の復讐のため、ゴロ政と勝はたった二人で安武組に殴り込む。

 

*

 

鈴木則文菅原文太コンビの、のちの「トラック野郎」を彷彿させる作品である。

興味深いのは、この作品、主要登場人物が全員「母の記憶」を持っていないことだ。ゴロ政は戦災孤児で、施設と少年院を出たり入ったりして育った。勝も同じく施設育ちで、家族の記憶は唯一「満鉄小唄」のメロディーだけである(このことは、勝がおそらく在日朝鮮人の子であることをほのめかす)。こうした二人の出自はシリーズ1作目「懲役太郎 まむしの兄弟」(中島貞雄監督・1971年東映)で明らかにされる。マオ=広津健の出自についてはすでに触れた。李麗花は陽徳との二人暮らしで、そこに母の影は見えない。

 

「まむしの兄弟 恐喝三億円」は母のない三人の子(ゴロ政、勝、麗花)が母に捨てられた子(マオ)のために命を張るという構図になっていて、そのテーマ性はカーネーションを象徴的な小道具にして明確に意図されている。東映の任侠映画には、よく見ているとこうした「母もの」の主題が底に流れる作品が案外多い。見せ場の荒々しい殴り込み場面との対比として、こうした情緒に訴えかける主題でバランスを取っていたのだろうと思わせる。

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