トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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乾いた花

元ヤクザの親分で俳優の安藤昇のインタビュー「映画俳優安藤昇」(ワイズ出版)を読んでいたら、こんな発言があった。

大体、博打というのはスリルがあるから面白い。金は命から二番目に大切なものだろう。にもかかわらず、それをオモチャにするのだから、これ以上面白いことはないだろう。

安藤昇はヤクザ映画ブームの一翼を担って多数の映画に出演する傍ら、ギャラの大半は競馬でスっていた。というより、競馬の資金を映画会社から前借りして、返すために映画に出ていたと言った方がいい。まあ、その一方で堅実な事業にも着手していたから、破綻することもなく晩年にさしかかりつつある。

思うに安藤昇のギャンブル狂には、少年時代の軍隊生活が影を落としているのだろう。昭和18(1943)年海軍航空隊に18歳で入隊、昭和20(1945)年6月、横須賀の特攻部隊に配属され本土決戦の猛訓練を受ける。その内容は潜水服を着て敵の上陸艇の船底に竹槍で爆雷を突き立てるという酷いものだった。当時のアクアラングは性能が悪く、運が悪ければガス中毒か大火傷かという危険きわまりないものだった。

…本当に、一歩間違えれば死と隣り合わせなんだから、危ないよ。清浄函という薄い錫板に苛性ソーダが入っているから、ちょっとした岩にぶつかっただけでも破れ、水が入って<ソーダ爆発>が起こり、噴き出してしまう。そうなれば火傷で済めばいい方で、下手をすれば、そのままお陀仏になってしまう。今考えると、あの頃の日本の軍隊が考えることは本当にお粗末なものだ。

人生で最も多感な18、19歳の時期を、こうした≪小さな死≫の反復で生きてきた安藤昇は、博打という命の次に大切なものをオモチャにすることで≪小さな死≫を反復し続けずにはいられなくなったのではないか、と思わずにはいられない。

 

だが博打狂いが戦争体験世代の特権かというとそんなわけでは全くないことは、数多の実例が証明している。博打の本質は安藤昇が的確に述べているように、命の次に大切なものをオモチャにするスリルであって、そこに異存を唱える人はいないと思う。

 

だから、「乾いた花」(篠田正浩監督・1964年松竹)に登場する謎めいた美女——美少女と言って良いくらいだが——冴子(加賀まりこ)が明らかに戦後世代なのにも拘わらず、賭場に出入りしては花札博打に大金を注ぎ込む姿に我々は何の違和感も感じないし、むしろ彼女の大きな瞳と、膝を崩し長い睫毛を伏し目がちに落として賭場をじっと見つめる姿を美しいとさえ思う。安藤昇の競馬狂いの一節を読んで、真っ先に思い出したのは「乾いた花」の加賀まりこの姿だった。

 

「乾いた花」は出所したばかりのヤクザ・村木(池部良)が賭場で冴子と出会い、彼女の破滅願望に時に付き合い、時に諫めながら奇妙な関係を結ぶという物語で、娑婆に出てみればかつての仇敵の組同士が手を取り合う緩みきった世界で、今より強いスリルを求めてレートの高い賭場をさ迷う冴子に心ならず惹かれてゆく村木の愛情と嫉妬ないまぜの感情を、池部良の抑制した名演で描かれる。冴子の本名も、家庭も仕事も最後まで明らかにはされない。

 

冴子は友達の医師から(本当は賭場にたむろする中国人・葉(藤木孝)から)覚醒剤をもらい試したと村木に告げる。カッとなり「馬鹿野郎!」と怒鳴る村木。「あんたにヤクよりもっといいもの見せてやる」と、村木は冴子をある高級レストランに連れて行く。

 

村木は冴子の見ている前で、関西の新興組織のボスを刺す。組の仕事だ。

「つまらない事だわ」
「つまらん事さ」

ことの一部始終はBGMのオペラのアリアにかき消され、音もなく終わる。瞬きもせず、冴子はじっと見つめる。そしてそれが村木と冴子の、最後をともにする瞬間となる。村木は再び収監され、冴子との音信は途絶え、二年後に村木はある噂を耳にする…。

この殺害シーンの撮影を、加賀まりこはずっと後にエッセイ集「純情ババアになりました。」(講談社)でこう回想している。

…映画のラストシーンで、私は池部さんが人を殺す光景をただ眺めてる。 その時の私の表情を、篠田さんはこうたとえてサジェストした。

「マリアの顔だよ!マリア」

あっ、そうなのね。一度は素直に思うものの、"生意気・西洋野菜・カガ"はパコ ーン!とボールを打ち返す。

「それはマググラのマリアですか、聖母マリアですか?」

 だけど、私も監督も、そんな瞬間化学反応みたいな会話から生まれてくる現場の空気を愛していたのだと思う。十字架にかけられたイエスの死を見守り、受容したマリアの静謐さをもって立ち尽くすんだよ、と。そうやって組み立てていく"モノづく り"が好きだったのだ。

 こうして冴子=加賀まりこは忘れがたい表情を観客に刻印する。

「乾いた花」で≪小さな死≫にのめりこんでゆく女を演じた加賀まりこは当時19歳。安藤昇が特攻隊員として死の瀬戸際に立っていたのと同じ年であった。

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