トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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追悼・打本親分

加藤武が亡くなった。古い邦画のファンには残念なことだ。

俳優の加藤武さん死去 「犬神家の一族」で警察官役:朝日新聞デジタル

ああ惜しい。昭和の邦画を代表する名脇役。「月曜日のユカ」の加賀まりこパトロン、「仁義なき戦い・代理戦争」のヘタレ親分(金子信雄にコケにされるシーンは絶品)…ご冥福を祈ります

2015/08/01 19:06

 NHK大河ドラマ軍師官兵衛」にも出演して驚くほどの健在ぶりを発揮していたが、やはり寿命は来るものである。

 

高倉健菅原文太といった主役俳優の訃報であれば、自分がわざわざ書かなくとも大勢の声が書いたりまとめたりしてくれるだろう。だが加藤武については、やはり何か書いておきたい気がした。作品は主役だけで成り立つものではない。加藤のような達者な脇役があって生きてくる。

 

ましてや、「仁義なき戦い」シリーズの第三・四部「代理戦争」「頂上作戦」で加藤が演じた打本組組長・打本昇はシリーズの本質を貫く、ヤクザの集団抗争を喜劇としての群像劇に再構成する上でクリティカルな存在である。

 

仁義なき戦い」の構成を練った脚本家、笠原和夫は自身の思う「実録やくざ映画」の喜劇性について色々な箇所で言及している。

 〈実録もの〉というとノンフイクションかと思われがちだが、わたしは当初から〈化粧直しの虚構〉と割りきっていた。リアリズムという点では、東映の場合、東京撮影所が古くから今井正家城巳代治、小林恒夫などの監督陣の力作を生んで、確固とした伝統を築いていた。深作欣二監督もその中で育った人である。しかし〈実録もの〉はリアリズム映画ではない。写実に徹することがリアリズムの基本姿勢だが、〈実録もの〉はデフォルメ(変形)に力点をおき、素材の〈毒性〉を意図的に誇張することで、現実の隠れたかおを摘出しよう、というのが私の考えだった。従って作品の形態は喜劇(コメディ)になる。

 早い話が、〈任侠映画〉で描き尽くしてきた「男の中の男」から「男の中の男でない男」を描くことが許されてきたわけで、わたしにとっては自分に作品を書ける機会に恵まれたのである。

——「破滅の美学 やくざ映画への鎮魂歌(レクイエム)」(ちくま文庫・2004)

 さあこの難物[註:広島やくざ抗争]をどうホンにしようか、悩んでいると、会社からまたトンデモナイことを言ってきた。第三部で広島事件をやってシリーズも終わりかと思っていたら、広島事件を第三 部、第四部と二つに分けて書いてくれ、というお達しである。

 二つに分ける以上、第三部を抗争に至る内紛劇、第四部を抗争の顛末に宛てざるをえない が、この内紛というのがとても絵になるシロモノではない。

 アクション一つなく、盃外交、裏切り、思惑、疑惑、ねたみ、恐怖、欲望、腹芸、離合集散、これらを日夜えんえんと繰り返すやくざたちの生態をどう書けばいいのか。格好いいところはどこにもなく、むしろ、何とも浮世離れしたズッコケ話のオンパレードである。

 なるほど飯千晃一氏や美能さん[註:「仁義なき戦い」の原案となる手記を執筆した元暴力団組長・美能幸三]の文章で読むと面白いのだが、映像でどう表現すればいい か判らず、よしんば映像にできても爽快なアクションを期待しているお客さんの期待に沿うものはできそうになかった。

(中略)

 あれこれ悩んだ末、ズッコケ野郎たちのズッコケ話を随所で流すことで、ブラック・ユー モアも出せるだろうし、ある種の混沌が示せれば、おれなりの「人間喜劇」を見せることが できるだろう、と腹を括った。どうせ真相は藪の中なのだから、いちいちストーリーを作り、 起承転結があって、誰はこうなりました、彼はこうなりました、というのは止めにした。

——「映画はやくざなり」(新潮社・2003)

 

 そうした笠原の狙いが最大限に発揮されるのは、上のブックマークコメントで言及した「代理戦争」における、金子信雄にコケにされるシーンだということに、異論を唱える人はまずいないだろう。

 

広島市最大の組織村岡組の跡目相続を狙う打本昇は、親しかった広能(菅原文太)を通じて神戸の大暴力団明石組幹部・相原(遠藤辰雄)と秘かに兄弟盃を交わし、神戸の力をバックにつける。がこれが却って村岡組長の不興を買い、意に反して跡目は呉市の山守組組長・山守義男(金子信雄)に渡ってしまう。跡目襲名披露の場に招かれた相原の面前で、慢心高まった山守は徹底的に打本をコキ下ろす。

「この打本いうたら、偉うない偉うないいうて、こんなバカはおらんのです」

兄弟分の前で赤っ恥をかかされ打本は悔し涙を流すが、山守に「お前どうしたの、泣いとるの? 泣かんの、泣かんのよ」と追い打ちをかけられる。

山守らが去った後、広能は打本をなだめるが、逆に「おどれみたいな腹黒いやつと酒が飲めるか!」と逆ギレする。だがそれは自業自得というべきもので、実は打本も相原との兄弟盃で飽き足らず、相原に内緒で明石組組長と直盃を交わそうと工作したのが相原を通じて広能にバレ、それが村岡組跡目問題で頭を悩ます幹部たちの耳に入ったからだった。腹黒いのはどっちだよというわけである。

 

「蘇る!仁義なき戦い 公開40周年の真実」(徳間書店、現在は合本「菅原文太 仁義なき戦い COMPLETE」に収録されているらしい)というムック本に2011年4月に収録した加藤武=打本昇のインタビューが掲載されているが、加藤はこのシーンをこのように振り返っている。

まあ金子さんの憎たらしい演技がうまいんだ。で、俺がヒイヒイ泣くんだが、言ってみれば金子さんの山守が大悪党、俺のが小悪党なんだよ。卑怯未練なだらしない様が、どこかコミカルで妙な現実感がある。この役は、今まで演じた中で最も気に入っているよ。

 打本は広能組と組み、村岡組を吸収した山守組と睨み合いになる。双方に神戸の大組織がバックにつき、西日本の覇権を巡る代理戦争の様を呈してくるが、一方の大将であるはずの打本は腰が引けて動こうとしない。一方、山守組は防御を固めるのに集めた客人の経費ばかりが消えてゆく。台所事情は打本も同じ。

しびれを切らした打本の若者が飛び出してゆくと、慌てた打本は敵の大将・山守組幹部・武田(小林旭)に電話をかけ、「今ウチの若いもんが飛んでいったけえ止めちゃってくれ」と頼む。おまけに「うまいこと止められたらちいと金貸してくれんかの」と頼む始末(!)。

 

東映のコワモテ俳優が勢揃いし、爆発すれば凄惨な事態になるはずの広島抗争が結果として勝者なき決着へと流れていったのは、深作欣二に呼ばれて参加した、東映カラーの薄い俳優演じる大将の小物・弱腰のゆえであり、まさにそのデフォルメされたグダグダ感の体現者として打本はこのシリーズ後半の最重要人物と言える。そして忘れてならないのは、大将が動けずにいる間、若い者から先に報われない血を流してゆくことである。そこを強調するためにも、打本は必然的に無能な親分として描かれなければならなかった。

 

そんな打本という戯画を描き抜いた加藤武にとって、代表作は「仁義なき戦い 代理戦争」なのではないかと思う。「金田一シリーズ」の警察署長役も面白いけど。

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