盲獣
「あなたは、何者なの!?」
「ぼくは、彫刻のまねごとをしている男です」
「彫刻!?」
「ぼくはめくらです。それも生まれ突き目の神経がダメで、何も見えないめくらなんです。めくらって、あわれなものだ。この世の中には目を楽しませるものがいっぱいある。太陽の光、雲の色、美しい景色、素晴らしい絵、芝居、映画、テレビ。ところがぼくには何も見えない。
…
触覚。ぼくはこの唯一の楽しみに取りすがって、手に触れるものは何でもかんでも撫でてみた。その中で、生きものの手触りが一番楽しかった。暖かくて、柔らかくて。イヌやネコを飼って抱いたこともあるし、牧場に行って羊や馬と遊んだこともある。だけど、どんな生きものも人間には及ばない。それも、女の体の手触りにはとてもかなわない。
…
その頃、死んだ親父の畑が高速道路に引っ掛かって、何千万円という値段で売れた。だけど、そんな大金はめくらのぼくには使い途がないんだ。色々と考えた末に、この倉庫を買って彫刻を始めたんだ。過去に触った女の体から、気に入った部分を選び出してみんな彫刻にした。いつでも撫でて触って楽しめるように。
これがぼくのアトリエです!どう思いますか?」
「あなたは気違いだわ!」
「ぼくはもうこのアトリエに飽きてきた。女の体ってこんなもんじゃない。世の中にはもっと美しい女がいる。素晴らしい肌がある。どうしても会いたい、触りたいと思い始めたとき、電車の中であなたの噂を聞いた。学生たちが、あなたの写真と彫刻を盛んにほめていたんだ。ぼくは、個展に行って自分の手で彫刻を調べてみた。あなたが頼むマッサージ屋に入って、本当の体にも触ってみた。結果は評判通りでした。今までのどの女よりも魅力のある体だった。形も肌も、ぼくの好みにぴったり合っていたんですよ!」
「近寄らないで!」
「安心して下さい、乱暴はしません!」
「あたしをどうするつもり?」
*
「盲獣」(増村保造監督・1969年大映)は1931年に発表された江戸川乱歩の同名小説を原作としているが、これは原作の前半部分だけを拝借し、翻案を加えたほぼオリジナル作品と言っていい。
乱歩の原作におけるタイトルロール「盲獣」は没落した明治の富豪にして全盲の殺人鬼である。盲獣はレビューの踊り子水木蘭子を手始めに、カフェのマダム、未亡人、海女の四人を次々と自宅に監禁し、その体に飽きたら殺してバラバラに解体し、その首や手足を町中に遺棄して騒ぎが起きるのを愉しむという、狂った性癖と残虐性の持ち主として描かれる。その残虐行為はページを追ってエスカレートしてゆき、昭和初期のエログロ文化の窮みとも言うべき作品である。
盲獣とは何か。増村保造の映画化作品は、時代設定を現代に置き換え、登場人物をファッションモデルの島アキ(緑魔子)、彼女を監禁する自称彫刻家の蘇父道夫(船越英二)とその母(千石規子)のわずか三人に絞り、ヴィジュアルでは原作のグロテスクさを再現しながらも心理ドラマとしてのストーリーを追求する。
壁のその部分には 、お椀をふせたような突起物がウジャウジャと群がっているのだが 、その一つをヒョイと押えると 、こんにゃくみたいにブルンと震えて 、押えた箇所が窪んだではないか 。しかも 、それは生あたたかくて 、まるで生きた人間の肌にふれたような手ざわりなのだ 。
蘭子は 、ギョッとして手を引っこめ 、よくあらためてみると 、そのお椀ほどのイボイボの部分は 、薄赤いゴムでできているらしく 、温度は裏側からなにか仕掛けがしてある様子だ 。
まあ 、これ人間の乳房とそっくりの手ざわりだわ 。気味がわるい 。
…
もし蘭子がもっと冷静であったなら 、まだまだ不思議な事柄を発見したはずである 。というのは 、その群がり集まった乳房が 、決して同じ型で作ったものではなく 、それぞれ個性を持っていたことだ 。百人の女を並べて 、そのおのおのの特徴ある乳房を 、一つ一つ 、丹念に模造したというような 、一種不思議な 、ゾッとするような感じが身に迫ってくるのだ 。
だが 、蘭子はそこどころではなかった 。ひとたび乳房に気がつくと 、部屋じゅうのあらゆるでこぼこが 、皆それぞれの意味を持っていることがわかってきた。
ある部分には 、断末魔のもがきをもがく 、大きな千の手首が 、美しい花のように群がりひらいていた 。ある部分には 、さまざまの形に曲りくねった 、そして 、その一つ一つが 、えもいえぬ媚態を示した 、数知れぬ腕の群れが 、巨大な草叢のように集まっていた 。また 、ある部分には 、足首ばかりが 、膝小僧ばかりが 、このほか 、肉体のあらゆる部分々々が 、どんな名匠も企て及ばぬ巧みな構図で 、それぞれの個性と嬌態を 、発散していた 。
…ふと気がつくと 、蘭子が今踏んでいる床は 、よく見ればこれはまた 、実物の十倍ほどもある 、巨大な女の太腿であった 。いやらしいほどふっくらとした肉付 、深い陰影 、それに 、驚いたことには 、産毛の一本一本 、毛穴の一つ一つまで 、気味わるいほど大きくこしらえてあるではないか 。
眼で追って行くと 、それだけは余り巨大なために 、たくさん並べるわけにはいかず 、一人の全身が 、やっと上半身までしかない 。小山のようにふくれ上がった 、丸まっちいお尻と 、その向こうには 、肩から脊筋へかけての 、偉大なスロ ープがつづいていた 。材料は 、印度美人の肌のように 、ツルツルと滑っこい紫檀の継ぎ合わせでできている 。それだけの費用でも 、実に莫大なものだろう 。
…だが 、怖いもの見たさに 、部屋じゅうをグルグル見まわしていると 、またしても恐ろしいものを発見した 。薄暗い電灯のために (その光線とても 、主人公には全く不要なのだが )よく見通しが利かず 、向こうの行き止まりの壁は 、つい注意もしないでいたが 、男の声が 、どうやらそのほうから響いてくるらしいので 、眼をこらして眺めると 、そこには 、今までのものとはちがった 、人体の部分が押し並んでいたのだ 。
先ず眼につくのは 、ピカピカと油ぎった 、きめの細かい鼠色の木材でできた 、おのおの長さ一間ほどもある 、巨大な人間の鼻の群れであった 。
三 、四十箇の 、人間一人分ほどもある恐ろしい鼻が 、種々さまざまの形で 、押し並び 、重なり合って 、黒く見えるほら穴のような鼻の穴が 、小鼻をいからせて 、こちらを睨みつけていた 。
鼻の群れの隣に 、畳一畳ほどもあるのから 、実物大のものにいたるまで 、大小さまざまの唇が 、あるものは口を閉じ 、あるものは半開にして 、石垣のような歯並みを見せ 、あるものは 、大口をあいて 、鍾乳洞のような喉の奥までも見せびらかしていた 。
もっと恐ろしいのは 、眼の一群である 。これには象牙ようの白い材料を用い 、なんの色彩もなく 、大理石像の眼のように 、あるいはそこひの眼のように 、まっ白にうつろに見ひらいたまま 、あらぬ空間を睨みつけている 。それが 、やっぱり 、大小さまざまの形で 、押し並び重なり合っているさまは 、ちょうど望遠鏡で眺めた月世界の表面のようで 、実にいやらしい感じである 。
(江戸川乱歩「盲獣」)
映画「盲獣」は、壁面を女体のパーツで埋め尽くし、中央に巨大な女のトルソーを横たえた、この狂ったアトリエを原作にほぼ忠実に再現する。アキはマッサージ師に化けた道夫にクロロホルムを嗅がされ、この部屋に閉じ込められる。
原作と異なり芸術家肌の道夫は、めくらにしかできない触覚芸術の最高作品を作りたい、そのモデルになって欲しいとアキに懇願する。もちろん気味悪い中年男の頼みを聞くいわれはアキにはないが、アトリエに閉じ込められている以上従うしかない。
アキは仮病を装いアトリエからの脱出を試みるが、間もなく道夫の母に見つかってしまい、スキあらば逃げ出そうという魂胆を道夫に見抜かれ二人の関係は険悪になってしまう。ここまでは、主導権は道夫の側にあった。
だが道夫にマザコンの気質を発見したアキは、「あなたは本当の女を知らないんだわ。だからこんな大きなゴムの女を作って、抱かれていたいのよ」と挑発し、道夫を誘惑する。嫉妬する母親を尻目に、アキは道夫と食卓を囲み、ワインのグラスを開ける。童貞の中年男を手玉に取り、ウソで固めた恋のフレーズで道夫を虜にする。
道夫はアキに恋してしまったことで、母との間に亀裂が生じる。息子を取られた嫉妬から、母はこっそりアキを逃がそうとするが、道夫に感づかれてしまう。狼狽する道夫、逆上する母、挑発するアキ。三人の思惑が激しくぶつかり合い、ついに母とアキは取っ組み合いの乱闘になる。道夫の手でアキから引き離された母は、そのはずみで頭を強打し死んでしまう。
母を殺してしまった悲嘆にくれる道夫の側をアキは抜き足で通り抜けようとする。が、視力を持たない代わりに気配を察知する能力に長けた道夫に見つからないはずがない。
「やっぱりそうか、好きだ、愛してるなんてみんなウソなんだ!ひどい女だ、めくらだと思ってまた騙したな!お前は母さんの代わりに、一生ここに居るんだ!オレを母さんに甘えている赤ん坊だと言ったな!彫刻が生きた女の代わりだと笑ったな!ようし、お前を抱いて、一人前の男になってやる!」
こうして、歯車は道夫にとってもアキにとっても狂い始める。
*
道夫とアキが暗いアトリエで幾度も情交を重ねるうちに、それぞれの内面に変化が現れる。道夫は彫刻への情熱を失う。しょせん彫刻は生きた女体の代用に過ぎないと悟る。アキは逃げるどころか道夫の触覚を愛おしく感じるようになり、愛が深まるにつれ、アキは次第に視力が弱まってゆく。
「あたしこの頃、目が見えないの。いつも暗闇の中で、手ざわりと肌ざわりだけを愉しんでいるでしょう。目なんて使わないから、だんだん弱くなってきたんだわ」
「オレと同じめくらになったわけか。どうだ、不自由か、悲しいか」
「反対だわ。めくらがかわいそうなんて、とんでもない間違いね。めあきのほうが、ずっと哀れだわ。だって、触覚の楽しさを知らないんですもの。触覚って素晴らしいわ。甘くて、深くて、確かで。」
「オレは気ちがいじゃないだろう」
「気ちがいどころか、凄い人ね。まるで人間と思えないくらい、触覚が鋭いんですもの。うらやましいわ」
アキは「昆虫の敏感なヒゲのように」触覚を研ぎ澄ませ、目のないクラゲやヒトデのような下等動物への退化を夢想する。
しかしその甘い快楽こそが罠だった。肌の快楽、それは人間の欲望で唯一、自然なブレーキがきかない欲望である。通常の触覚の快楽で飽き足らなくなった道夫とアキは、さらに激しい快楽、強い刺激を求めて互いの体を傷つけ合う。噛む。殴る。鞭打つ。刺す。傷だらけになりながらなお快楽を求めてやまない二人は、すでに生の終わりが近いことを感じ始めている。
ここでもう一度乱歩を引こう。
「さあ 、もっともっとひどく 、傷をつけて !いっそ 、そこの肉をえぐり取って ! 」
身もだえする蘭子を前にして 、彼はとうとう恐ろしい計画を立てた 。
「そんなに傷がつけてほしいのかね 。そんなに痛い目がしたいのかね 。よし 、よし 、それじゃ 、わしにいい考えがある 。お待ち 、今にね 、お前が泣き出すほど 、嬉しい目に合わせてやるからね 」
彼は刃物を蘭子の腕に当てて 、グングン力を込めて行った 。
「アッ 、アッ 」
蘭子は悲鳴とも 、快感のうめき声ともつかぬ叫びを立てて 、烈しく身もだえした 。
「もっとよ 、もっとよ 」
「よしよし 、さあ 、こうか 」
彼女は遂に泣き出した 。痛いのか快いのか見境もつかなくなって 、わめき叫んだ 。
盲目の夫は 、刃物に最後の力を加えた 。メリメリと骨が鳴った 。そして 、アッと思う間に 、蘭子の腕は 、彼女の肩から切り離されてしまった 。
滝つ瀬と吹き出す血潮 、まるで網にかかった魚のようにピチピチとはね廻る蘭子の五体 。
「どうだね 。これで本望かね 」
盲獣は闇の中で 、薄気味わるい微笑を浮かべていた 。蘭子は答えなかった 。答えようにも 、彼女はすでに 、意識を失ってしまっていたからだ 。
(江戸川乱歩「盲獣」)
乱歩の世界では、既に男は女の体に飽き飽きしていた。だから蘭子の要求にかこつけて彼女を「処分」してしまい、次の獲物に乗り換えようとしていた。
増村の映画でも、クライマックスはほぼこの描写をなぞる。だがそこに至る覚悟のほどは大きく異なる。道夫とアキは、並んで横たわり息も絶え絶えながら必死に言葉を絞り出す。
「こんなことになって、後悔しているか」
「どうして? 普通の人間にはわからない楽しみを、思う存分味わったんですもの。いつ死んだっていいわ・・・ねえ、いいことを思いついたわ。どうせ死ぬなら、最後に、うんと楽しませてよ!泣き出すほど喜ばせてよ!」
「どうするんだ」
「あたしの腕を切り取ってよ。足も切って。この体をバラバラにしてほしいわ。きっと、ものすごく痛いけど、とても楽しいと思うの。その楽しさの中で、ひと思いに死にたいわ」
「このまま苦しんでいるより、マシだというわけか」
そして道夫はフラフラの体で出刃をアキの右肩にあて、ハンマーを振り下ろす。アキの叫び声と共に、放置されて久しい道夫の作りかけの彫刻の右腕が落ちる。
左の肩に包丁を当ててハンマーを下ろす。彫刻の左腕が崩れる。
そして彫刻の右足、左足が次々と落ちてゆく。このショットが、直截的には映し得ないアキの四肢切断と、道夫・アキの触覚ユートピアの崩壊の両方をおぞましくアレゴリカルに表現する。
アキが息絶えるのを見届けて、道夫もまた出刃を胸に当て、心中を遂げる。
盲獣とは何か。それはこの映画においては一義的にヒロイン・アキの心であり、視覚を差し出し、四肢を失い、ヒトであることをやめてでも快楽を得させることをためらわない欲望である。それはめくらのハンデを逆手に独自の芸術を完成させようとする点で常識外れながらも人間らしさを持つ道夫をも、悦楽の底へと引きずり下ろす行動となって現れる。
そうした人間の意識下の獣性を、アキの豹変を通して描いたのがこの作品だろう。増村保造の映画の中で最も奇怪な作品だが、ただの際物映画からは遙かな高みに達している。