トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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現代娼婦考 制服の下のうずき

四方田犬彦の古い本に、若かった自分を「こんな見方もあるのか」と感心させた次のような一節がある。

自動車のフロントグラスはそれ自体が映画のスクリーンに類似している。そこではあらゆる風景が長四角の枠組に切り取られ、隔たりを設けたうえで、おそろしい速度で過ぎ去ってゆくのだ (曾根中生の「続 ・レズビアンの世界―愛撫―」では、いきなり洗車場に突込んだ自動車の内部にカメラの視座がおかれる。窓の外に押しよせるモップと水とおびただしいシャボンの泡がスクリーンの全面に一瞬拡がり、その間に惨劇が生じる)。

四方田犬彦「映画はもうすぐ百歳になる」(1986年筑摩書房・絶版)

 

映画がかくも自動車という題材にこだわり、カーアクションやロードムービーといった独自のジャンルまで生み出しているのは、自動車がすぐれて現代的な道具であるという以上に、自動車に乗るという行為が映画を観る行為の比喩であるという隠れた動機があると四方田は述べる。

 

その当否はともかく、ここで引用されている曽根中生の作品は「続・レズビアンの世界ー愛撫ー」ではなく、おそらく「現代娼婦考 制服の下のうずき」(曽根中生監督・1974年日活)のことだろう。どちらも最近、シネマヴェーラ渋谷の曽根監督の追悼企画で上映する機会に恵まれた作品だ。(画像は「現代娼婦考 制服の下のうずき」のポスターをモチーフにしたシネマヴェーラ渋谷のチラシ)

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たしかに「現代娼婦考 制服の下のうずき」のクライマックスは、洗車機のモップと泡と水に覆われた青い日産GT-Rという密室で、宿縁の従姉妹同士が殺人に及ぶ場面である。洗車機の轟音であらゆる声がかき消されているのが恐怖を呼ぶ。上の例えを用いれば、我々は車の中という映画館で起きる惨劇を映画として観る、という自己言及的な体験をすることになる。リュミエール兄弟が世界最初の映画「列車の到着」をパリで上映したとき、観客は迫り来る列車に恐怖して逃げ出したという。映画は恐怖の二つ名なのだ。

 

だが「現代娼婦考 制服の下のうずき」という一本の隠れた傑作に焦点を絞ると、このクライマックスだけをピックアップしてもその魅力はわからないと言うべきだろう。ロマンポルノとしては平均的な尺だが70分という極めて厳しい時間制約の中で、惨劇へと至る二人の女の十数年に及ぶ確執を解きほぐしてゆく手際のよさを抜きにして、この作品は成立し得ないと思われるからだ。

 

*

 

夏川真理(潤ますみ)は6歳の時、孤児院から斉木家に引き取られた。斉木家には死んだ母の姉久子、祖父の惣一郎とその妾ユキ、同い年で何不自由なく育てられた従姉妹の洋子(安田のぞみ)とその兄憲洋がいた。

二人は幼いときから命じる者と命じられる者の絶対的関係が宿命づけられた。真理の母はやくざな男を作って家を飛び出し、男に捨てられて病で死んだ。田舎の旧家にとって真理は娼婦の子として蔑まれるしかない。「何かやったら、孤児院に送り返すから」。そう言えば真理は従わざるを得ないからだ。

 

二人は大学生になり、東京のアパートで同居している。洋子には婚約者がいるが、結婚するまで体の関係を許さないと言いながら、男友達と後腐れのないセックスを楽しんでいる。洋子の仲間に無理にドライブに付き合わされ、山道で置き去りにされる真理。

「一晩中待ってたなんて信じられない。私達だって3時間も待ったんだからね。言いなさいよ、ほんとは私達と一緒にいるのが嫌だったんでしょ。高校の時家出したんだから戻ってこなければ良かったのよ。それを当然の権利みたいに、大学まで行かしてもらってるのは誰のおかげよ」

 

真理とて思わぬことがないわけではない。真理は、外面は良いが内情は爛れた斉木の家の罪を一人で被ってきた。真理の幼い記憶が蘇る。惣一郎の妾の座にいながら憲洋にも股を開くユキ。憲洋が隠し持っていた拳銃で遊んでいるうちに誤射してしまった洋子に、憲洋殺しの罪をかぶせらた真理。

 

洋子の母が危篤になり田舎に帰らなければならなくなったが、真理には帰るなと命じて洋子は一人で帰ってしまう。真理はその間、退屈しのぎに洋子の男と寝る。金を貰って見知らぬ男と寝る。

間もなく洋子の母は死に、洋子は東京に戻ってくるなり荷物をまとめて一人暮らしをはじめると言い出す。真理は驚いて洋子に尋ねる。

「あたしに相談もなしに?」
「私は残りの学生生活を自由に過ごしたいの。真理の命令は受けないわ」
「あたしには命令するのに?」
「私がいつ命令したのよ」
「いつだってよ。憲洋さんの事故の時だってあたしのせいにされたわ。あなたにそう言えと言われて」
「何言ってるのよ。十何年も昔のこと」
「あたしには昔のことじゃないわ」

洋子は無意味だと話を打ち切り、引っ越しの荷造りを済ませるとお別れのドライブに真理を誘う。運転席の洋子が言う。

「真理、タバコ」

 

「母さん、真理のこと心配してたわ。でも私はあなたに何も言わない。あなたは自由よ。あなたのしたいようにすればいいんだわ」
「ええ、そうするわ」

二人を乗せたGT-Rが洗車場に入ってゆく。

 

殺した洋子になり替わった真理は、斉木家の遺産を手に入れながらなお東京で見知らぬ男を漁り続ける。娼婦でい続けることが洋子と斉木家への復讐であるかのように。

 

*

 

真理と洋子の決定的な亀裂は「あたしがいつ命令したのよ」と言ったその口で「真理、タバコ」と命じる洋子の無神経さと、それに無言で応える真理の屈辱によって頂点に達する。この場面がなければ洗車機の惨劇は迫力を失う。逆に言うと、その短いシークエンスだけで充分に二人の埋めがたい溝が伝わるのである。

 

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