赤線玉の井 ぬけられます
きーんらーんどーんすの おーびしーめなーがら
はなよめごりょおーは なーぜなーくのーだろー・・・*1
公子(芹明香)は二年を過ごした「小福屋」を足抜けした。小福屋は「お父さん」(殿山泰司)と「お母さん」(絵沢萠子)が切り盛りする、玉の井では珍しくない小さな娼家だった。荷物をミゼットに積んで嫁いでゆく公子は「あたし、何だかここに戻ってきそうな気がする」と呟いた。そしてその予感は当たる。
公子が小福屋に居た2年間は短いものではなかった。初めて男に金で買われた夜、「動いちゃいや、動いちゃいや」と泣いた。
ようやく足抜けできた公子だったが、新婚旅行先での夫とのセックスには満足することができなかった。「これから東京でうまくやっていけるのかしら・・・」
その日、公子は都電に乗ってふらりと小福屋に帰ってくる。「だめだよ帰って来ちゃ」とお母さんにたしなめられるのも聞かず、久しぶりの客とのセックスに公子はオルガスムを感じてしまう。その夜、夫は公子を迎えに来ることはなかった。
かっぱーからげてー さんどーがーさー
どこをーねーぐらーのー わーたりーどーりー・・・*2
シマ子(宮下順子)はヤクザの志波(蟹江敬三)に売上を貢いでいた。足りない分は仲間にアクセサリを売って金を工面し、志波は毎晩バクチでその金をすっていた。賭場を訪ねてはカネを渡すシマ子。刺青の男に惚れずに居られないシマ子。店の外では、志波に操を立てるため、志波と同じ花札の彫り物を内股に入れた。
その日、シマ子は、志波が他にカタギの女を作っていることを知らされる。シマ子は仕事も放り出して志波のアパートを訪ねる。そんなシマ子を邪険にし、ヒロポンの注射器を手にする志波。シマ子は「あんたがどこで誰と会っていてもいい。でもヒロポンはやめて!」とヒロポンのアンプルを玄関に放り投げ、踏みつけて足の裏を傷だらけにする。「バカ!医者に行くぞ!」「あんたが抱いてくれなきゃ、あたし医者に行かない!」志波はシマ子を抱きしめる。
やーきゅううーすーるなら こーいうーぐあいにしやしゃんせ
こうーなげてーこううって こうーうけてーこうなげて
ランナがでたならえっさっさ・・・*3
その日、直子(丘奈保美)は繁子(中島葵)が立てた1日の客数26人の記録を追い抜こうと思い立つ。お父さんは食事の席で「男は早くイカすにはな、股ぐらをこう、またいで火鉢で暖める事じゃ。そうするとな、アソコがあったまって男は早くイクんじゃ」とウソみたいな事をいって娼婦たちの笑いを誘うが、10人、15人、16人と休む間もなく客を取りづける直子は火鉢をまたいで客に望むようになる。25人。夜11時半。赤線に店じまいの鐘が鳴る。ぎりぎりまで客引きを辞めない直子はもう髪もボサボサ、目だけギョロッとしてまるでお化けだと客に気味悪がられる。
その日、小福屋にもう5年も居すわり続けた繁子は、お母さんから品川への鞍替えをほのめかされる。居づらくなった繁子は、翌日の明け方誰にも告げず自転車で店を後にする。
玉の井は、東京都向島区寺島町(東京都墨田区東向島)界隈に存在した売春街(赤線)。通りの上に「ぬけられます」というアーチ状の看板がかかっていた。「通り抜けできます」の意味だが、通り抜けようとすると「ねえねえお兄さん遊んでいかない?」と声がかかる、そんな街だったようだ。
ここで生まれ育ったマンガ家・滝田ゆうは「寺島町奇譚」で、戦前から東京大空襲で焼け落ちるまでのこの街の風俗を少年の目を通して描いているが、昭和30年代のこの街をセットで再現した「赤線玉の井 ぬけられます」(神代辰巳監督・1974年日活)にも要所要所でペーソス溢れるカットを挿入して作品を味わい深いものにしている。
この時期の神代辰巳はどの作品でも、登場人物に何かにつけ鼻歌を歌わせている。その姿をカメラは、時に遠距離から、時に至近距離で追いかけながら見つめ続ける。
「赤線玉の井 ぬけられます」は娼家に集う女たちの様々な人間模様を、ある正月の1日を通して描く群像劇で、それぞれの人生における過去と現在が入り組み、説明的な描写を省いて描いているのでわかりやすいとは言えない。(神代辰巳は観客に優しい監督ではない)
だがそれは、神代が小細工をこらして小難しい内容に仕立てているというわけではない。描かれているのは、他の人より少し不幸なだけの、ごく普通の女たちのあけすけな生の姿だ。
そういう意味で、「赤線玉の井 ぬけられます」は叙情的な作品である。