トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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さすらいの恋人 眩暈(めまい)

挿入歌に中島みゆきの「わかれうた」が流れる恋愛映画に、ハッピーエンドは約束されていない。

 

にもかかわらず、「さすらいの恋人 眩暈(めまい)」(小沼勝監督・1978年日活)のなかで徹(北見敏之)と京子(小川恵)が、「わかれうた」をバックに二人だけの暮らしを紡ぎ上げてゆく短いショットの連続は、この上もない幸福感に満ちている。ショットが描くのは、ロングで捕らえられたありふれた恋人同士の戯れ以上のものではない。たとえば、歩道橋の上で二人が何やら口論している。ケンカ別れしたのか、二人は別々の方向に歩き出す。だが数歩歩いたところで、徹は思い直して踵を返し、京子のほうに駆けよる。こうしたシーンをいかに上手くまとめてドラマの進展を説明するかが、時間的な短さを要求されるポルノ映画では重要になる。

 

*

 

大学生の徹と、スーパーのレジ係だった京子。ある冬の朝、公園の噴水に身を投げた京子を徹が助けたのが出会いのきっかけだった。アパートでずぶ濡れの京子を脱がせ、布団で暖めてやるうちに、二人は自然に結ばれた。

 

二人はどこといって変わったところのない、ごく普通のカップルである。ただ、徹が二百万円の借金を抱えて追われていたことと、二人が白黒ショーで生計を立てていたことを除いては。

 

徹はヨットの冠レースを目指していた。だがレースに出るには数百万円のカネがいる。バイトだけではおいつかない金を稼ぐため、ヨット仲間の千加(飛鳥裕子)たちから預かった二百万円を競馬につぎ込んでスってしまった。それで大学にも行かず、仲間からも逃げていた。

 

徹が仲間に襲われたことをきっかけに、京子はアパートの隣人諸田(高橋明)が紹介した白黒ショーの仕事でお金を貯めて借金を返そうと決意する。来る日も来る日も、二人はホテルの一室で、あるいは鎌倉の旧家で、人前でセックスをする。

 

ある日、徹が諸田と仕事の相談をしている間にヨット仲間が転居先のアパートを襲撃し、京子を強姦する。徹は、傷だらけでトイレに倒れた京子を抱きしめる。

 

ーーねえ、東京出ようよ。あたし四国行きたいな。

 

徹はいつか、京子と浜辺でした会話を思い出す。京子は四国の新居浜出身だった。徹はこの次の仕事を最後に、借金を返して京子と四国に旅立つ決意をする。京子もまた、傷ついた体と心で最後の白黒ショーに臨む。

 

徹は千加に二百万円を返す。「あの子と行くの?」千加は徹に尋ねるが、聞かずとも徹の決意はわかっていた。

 

渋谷駅。徹は切符を買いに、京子は売店に菓子を買いに行く。だが京子の振り向いた視線の先、千加が足早に通り過ぎてゆくのが見える。ただならぬ不安を感じた京子は窓口に駆けつけるが、徹は姿を消していた。

 

「金を返せば済むと思っているのか!」徹はかつての仲間達に拉致され、ビルの屋上でリンチに遭っていた。椅子に縛り付けられ、何度も殴られながら京子の名前を叫ぶ徹。「どうしてこうなってしまったの!?」千加は、暴力による過去への復讐でしか生きられないかつての仲間達の姿に絶望する。

 

徹の行方を探し求めて、街を彷徨う京子。いつしか京子は、自分が身を投げた噴水の傍らで涙に暮れていた。「わかれうた」が再び流れる。

 

*

 

ヒロイン・京子を演じる小池恵の、主人とはぐれた子犬のような哀しげな表情が観客の涙を搾り取る。小沼勝ロマンポルノを代表する監督で、中でも谷ナオミと組んだSMものの印象が強いが、このような若者の純愛映画を撮っているのが新鮮な驚きであった。

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