トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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新橋ロマン劇場が最後の番組に選んだ作品と、その歴史

新橋のガード下で50年以上にわたり営業を続けてきたピンク映画専門館、新橋ロマン劇場が去る8月31日、隣接する新橋文化劇場とともに、一部のファンと多数の野次馬に惜しまれながら閉館した。

 

ロマン劇場の閉館前の最後の三日間は「日活ロマンポルノ傑作選」として日替わりで次の9作品が日替わりで上映された。

 8月29日(金) "恋"の日:
  「さすらいの恋人 眩暈(めまい)」(小沼勝監督・1978年)
  「恋人たちは濡れた」(神代辰巳監督・1973年)
  「ラブ・ハンター 恋の狩人」(山口清一郎監督・1972年)

8月30日(土) "暴"の日:
  「暴行儀式」(根岸吉太郎監督・1980年)
  「人妻集団暴行致死事件」(田中登監督・1978年)
  「(秘)ハネムーン 暴行列車」(長谷部安春監督・1977年)

8月31日(日) "秘"の日:
  「(秘)女郎市場」(曽根中生監督・1972年)
  「(秘)色情めす市場」(田中登監督・1974年)
  「(秘)女郎責め地獄」(田中登監督・1973年)

 

新橋ロマン劇場に足繁く通うようになったのは浅草名画座と銀座シネパトスが相次いでなくなり行き場をなくしてからだから、ここ1年足らずに過ぎないので、閉館と聞いて驚きはしたが、あまり感慨はなかった。それにここにあげた9本のうち6本はすでに観たことのある作品だ。それでもこれらの名作がフィルムで観られる機会が失われるのは惜しいので、取るものも取りあえず三日間通い続けた。

 

特に印象に残ったのは初日の3本だ。「さすらいの恋人 眩暈(めまい)」については前回の記事に書いたが、とても良い作品だと思った。

ところが警察はそうは思わなかったらしい。この作品は警視庁が映倫にクレームをつけ、これを受けて日活が公開中に上映打ち切りの憂き目に遭っている。

日活が上映打ち切り

四日から全国五十七館で上映中の日活”ロマンポルノ”三本立てのうち二本に警視庁から「性表現上問題がある」と、ものいいが付いた。日活では一本を十日から一部(二分間)カットし、一本は十五日からほかの旧作品に差し換えて上映するという措置を取った。
一部をカットしたのは「順子わななく」で、打ち切ったのは「さすらいの恋人 眩暈(めまい)」。
警視庁や映倫事務局、日活の話をまとめると、上映開始後の八日に警視庁から電話で問題点があると指摘があり、映倫で再検討して日活に手直しを要望、それに日活が従ったという。

(朝日新聞 1978.3.17東京朝刊22頁)

この一件は大した騒ぎにもならず新聞のベタ記事扱いだったが、当時の状況をリアルタイムで体験した映画評論家・監督の樋口尚文は「きょとんした。…いったいどこが『猥褻』なのか本当に察しがつかなかった」と回想している。*1

 

恋人たちは濡れた」には、ヒロイン・中川梨絵が砂浜で二人の男(大江徹、堀弘一)と馬跳びをする長いシーンがある。中川梨絵は馬を跳びながら一枚ずつ服を脱いでゆき、しまいに全裸になって馬跳びをするので、とうぜん肝心な部分はボカシが入るのだが、それが作品につけられた白いひっかき傷のように見える。

恋人たちは濡れた」の2ヶ月後に封切られた神代辰巳の次回作「女地獄 森は濡れた」は、やはり警察の介入で上映が打ち切られている。

日活ロマンポルノ 再び上映打ち切り、再編集
警視庁申入れ直後 映倫急変、問われる姿勢

日活本社は三十日、今月二十三日から六月一日までの予定で全国で封切られていた日活ロマンポルノ「女地獄 森は濡れた」(神代辰巳監督)等三本を三十日限りで上映を中止し、回収したうえ再編集すると発表した。日活ロマンポルノ映画が上映予定期間の途中で打ち切りとなったのは、昨年十二月の「色情姉妹」(曽根中生監督)に次いで二度目。今回の措置も「色情姉妹」の場合と同じように、警視庁から映倫に対して「管理委員も見てほしい」との申し入れがあったのち、急いで打ち出されたものだけに、警視庁のポルノ取締り姿勢と映画界の自主規制機関であるはずの映倫の態度が、新たな論議を呼びそうだ。三十一日からは、封切館では次回作を繰り上げてあなうめ上映する。(以下略)

 (朝日新聞 1973.5.31東京朝刊3頁)

 

「ラブ・ハンター 恋の狩人」の、上映可能なフィルムが(かなり劣化していたとはいえ)現存していたことは知らなかったので、正直言って驚いた。この作品の摘発と、関係者の裁判については以前少し触れたことがあるが、日活のロマンポルノ路線開始直後ということもあって、当初は大きな問題となった。前の記事二本の主語が日活本社の発表を受けての報道であるのに対し、この記事は「警視庁」を主語に書き出されていることに注目して欲しい。

日活映画を手入れ 警視庁"ポルノ解禁"と対決

警視庁保安一課はいま、東京・新宿オデオン座などで上映されている日活映画「恋の狩人(ラブ・ハンター)」、同「牝猫のにおい(OLポルノ日記)」、プリマ企画映画「女高生芸者」をワイセツ映画として、二十八日、千代田区有楽町の日活本社や調布市染地二丁目日活撮影所、渋谷区代々木四丁目プリマ企画会社、この映画を上映している新宿オデオン座などを捜索、フィルムなどを押収した。(以下略)

(朝日新聞1972.1.28東京夕刊9頁)

この時押収された3本の作品と72年4月に摘発されたもう一本を巡る「日活ロマンポルノ裁判」が開始される。被告は映画会社、プロデューサー、監督、映倫審査員の計9名。東京地裁の判決は1978年6月。奇しくも「さすらいの恋人」の上映中止と時を同じくする。判決は「無罪」であった(2年後に高裁が控訴棄却・無罪確定)。それは、これら作品を審査した映倫の基準が刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)に照らして「審査の基準をできるだけ尊重すべきであるとの見地に立って判断すると、本件映画はまだ社会通念上許容しがたいような露骨で卑わい感を与え、性的差恥心を害するものとは認められない」との司法判断であった。

しかし「恋の狩人」の監督山口は、この司法の論理を是としなかった。山口の論理は特定作品に対するわいせつ罪の適用可否ではなく、刑法175条が検閲を許容するものとして、175条自体を否定するものだったからだ。一言で言うと『わいせつで何が悪い』という国家への挑戦である。最高裁判所ならともかく、地方裁判所は法の存在を前提として争う場であり、法そのものの適否を争う場ではない。東京地裁に山口の論理は最後まで届かなかった。

山口の論理は、71年の倒産後、労働組合主導で再建の途にあった日活の弁護方針とも対立するものだった。

当初、監督被告の藤井克彦、近藤幸彦、山口清 一郎の三人の弁護に送り込まれたのは、日活労組より推薦、派遣された弁護士だった。「ハレンチを口実とした表現弾圧」と闘おうとしたそれら弁護士は、法廷で激しく「ポルノ否定」を行った。ポルノ映画の監督たちを、その作品を否定して救済しようという本末転倒。それは、国家権力にお目こばしを懇願する姿勢と大差ないようにも感じられる。労組弁護士と監督被告の亀裂は顕在化した。*2

日活の中枢にとって、ロマンポルノは低予算・早撮りで手堅く収益を上げる金儲け装置に過ぎず、ここで得た収益は「戦争と人間・完結編」(山本薩夫監督・1973年)といった反戦大作映画に注ぎ込まれた。上掲書のなかで鈴木義昭は、79年に役員全てが労組幹部で占められた日活のことを「当時の日本共産党の「退廃文化」キャンペーンの中、日共系労組管理で社長をも送り込んだ映画会社が、さらになおポルノ映画を作り続けるという風景は、時代の病理のように僕らの目には映っていた」と記す。

こうした状況下で山口は社内でも孤立し、77年に日活を去る。その後はATGで1本を監督しただけで、2007年にその人生を終える。

 

ロマンポルノ裁判が6年にわたる審理を延々と続けている間にも、警察のロマンポルノへの介入は散発的に行われるが、その社会的注目度は時を追うに連れて下がってゆくのは、「恋の狩人」「森は濡れた」「さすらいの恋人」を巡る新聞記事から間接的に感じることができる。この間に警察ー映倫ー日活の馴れ合い関係ができたとも言え、ポルノ検閲の不可知化が進行したとも言える。

 

 新橋ロマン劇場がそのフィナーレに当たって「"恋"の日」に選んだ3本は、いわゆる名作であるにとどまらず、このように警察の介入で上映中止になった作品と、それに隣接する作品を選んだ「いわくつき」の3本でもある。この番組編成が意図的なものなのか、偶然そうであっただけなのかは、関係者に聞いていないので知らない。

だが、これらの作品の背景にこのような歴史がある事だけは、新橋ロマン劇場という映画館の存在とともに記憶すべきことだろう。

 

ロマンポルノと実録やくざ映画―禁じられた70年代日本映画 (平凡社新書)
 
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*1:樋口尚文『日活ロマンポルノと実録ヤクザ映画』p.60

*2:鈴木義昭「日活ロマンポルノ異聞」p.168