トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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ゴルゴ13

片付けをしていたら、昔録画した「ゴルゴ13」(佐藤純彌監督・1973年東映)のDVDが出てきた。引っ越しの時に捨てたものだとばかり思っていた。

原作者のさいとう・たかをは、主人公デューク・トウゴウを高倉健をイメージしながら作ったと聞いているが、高倉健主演によるこの長寿マンガの最初の映画化作品は、彼のフィルモグラフィーとしては珍品というべきもので、テレビ放映されること自体珍しく(B級映画に強いテレビ東京さまさまである)、友人に録画DVDを貸して見せたことがある。

 

いずれにしてもこのタイミングでDVDが出てくるということも天国の健さんの配剤だろう。せっかくなので追悼を込めて観ることにした。

 

ジャンルとして確立しているわけではないが、古い日本映画のなかには「観光映画」と呼ぶべきタイプの作品がある。外貨持ち出し制限などの理由で海外旅行のハードルが高かった時代に、外国政府や航空会社とのタイアップで海外ロケを敢行して観客に異国情緒を楽しんで貰うタイプの企画作品を個人的にそう呼んでいる。石原裕次郎主演の「アラブの嵐」(中平康監督・1961年日活)や森繁久彌の人気シリーズの一本「社長外遊記」(松林宗恵監督・1963年東宝)などがそうだ。

 

「ゴルゴ13」はハードなストーリーながらその流れを汲む作品で、イラン政府が製作に協力し、ほぼ全編をイランでロケし、ゴルゴ13は標的を追って首都テヘラン、古都イスファハンペルセポリスの遺跡、そして砂漠を移動する。キャストは高倉健以外全員イラン人(ただしセリフはすべて日本語に吹替えというのがマンガっぽくて良い)。目下のイランの国際的な立ち位置を考えると信じられないような文化開放ぶりだが、時代は79年のイスラム原理主義革命の前、親米派の王朝政権のおかげだ。スタッフロールに映るアーザーディー・タワーは当時シャーヤード(シャー[王]の栄光)・タワーと呼ばれていた。

予告編に観光映画ぶりがよく現れていると思う。



ストーリーは、いつもの「ゴルゴ13」だと思えばいい。某国情報部は貿易商を隠れ蓑にした国際麻薬・売春シンジケートの大ボス、マックス・ボア(ガダギチアン)がイランに潜伏していることを掴んだが、潜伏先は外国、しかも犯罪人引渡条約未締結国なので大っぴらに身柄を抑えることができない。ボア暗殺のためテヘランに送り込んだ工作員は次々と返り討ちに遭い、情報部長フラナガンはやむなくゴルゴ13に仕事を依頼する。が、実は誰もマックス・ボアの顔を知らない。人前では常に身代わりを立てているからだ。

 

テヘランに潜入したゴルゴは情報屋のエフバリに調査を依頼するが、エフバリは「マックス・ボアは小鳥を可愛がる」というダイイング・メッセージを残して殺される。殺害現場に居合わせたゴルゴは警察から追われる身になるが、情報部からゴルゴを追って来たキャサリン(プリ・バナイ)の助けで難を逃れる。小鳥を肩に乗せたボアの身代わりを撃ち、ボアの手下、盲目の殺し屋ワルター(ヤドロ・シーランダミ)に敢えて捕らえられたゴルゴはボアの居所がイスファハンであることを掴むと、ワルターを倒しキャサリンイスファハンに向かう。テヘラン警察のアマン警部(モセネ・ソーラビ)も、取り逃がした正体不明の東洋人が市内で頻発する女性誘拐事件に関与している疑いを深め、後を追う。

 

イスファハンでボアの屋敷を突き止めたゴルゴは、ボアが日課にしている庭でのモーニング・ティーを塔の上から狙う。だがテーブルには全く同じ背格好の男が6人。本物のボアは誰だ・・・ゴルゴのM16はテーブルの鳥かごを撃つ。伏せる6人の男の間を、鳥かごから出たオウムが渡り歩く。オウムが乗った肩の男・・・その男がボアだ。だがボアをスコープに捕らえた瞬間、ボアの一味の銃弾がゴルゴに襲いかかる。助っ人に駆けつけたキャサリンは逆に捕らえられてしまう。

 

ボアはゴルゴをおびき出すため、さらった女達(その中にはキャサリンも、アマン警部の妻もいる)をペルセポリスに連れ出し、ゴルゴに投降しなければ一人ずつ女を殺すと呼びかける。ボアの居場所を探すゴルゴ。ボアの手下ダグラスはキャサリンを撃つ。ゴルゴに出てきてはいけないと呼びかけ、キャサリンは倒れる。犯罪の全貌を掴んだアマン警部が妻を救い出すため一味に殴り込むが、健闘むなしく命を落とす。ボアを殺せというゴルゴへの伝言を残して。

 

ボアの後を追って砂漠へと車を走らせるゴルゴ。だが視界の先に、ボアとダグラスの乗った二機のヘリが待ち構える・・・

 

この時期高倉健は任侠路線の終了とともにやくざ映画から卒業し、任侠スターからの脱皮を図っていた時期である。時折しも東映のドル箱は「仁義なき戦い」の大ヒットで火がついた実録路線であった(「ゴルゴ13」の前に佐藤純彌が撮ったのが「実録・私設銀座警察」である)が、高倉健が登板することはなかった。

 

「幸せの黄色いハンカチ」(山田洋次監督・1977年松竹)をきっかけに、高倉健は人情味あふれる人柄を木訥に表現するシャイな男、というイメージを作り上げて成功してゆくが、もともと高倉健東映東京撮影所のギャング映画で地歩を築いた人であって、欲望やアクションをぶっきらぼうに表現するところに原点があると思う。その魅力を引き出していたのが60年代では「狼と豚と人間」「ジャコ萬と鉄」の深作欣二、70年代では「新幹線大爆破」の佐藤純彌ではなかろうか。そういう意味で、「ゴルゴ13」も高倉健の代表的な一本に数えたい。

 

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現代娼婦考 制服の下のうずき

四方田犬彦の古い本に、若かった自分を「こんな見方もあるのか」と感心させた次のような一節がある。

自動車のフロントグラスはそれ自体が映画のスクリーンに類似している。そこではあらゆる風景が長四角の枠組に切り取られ、隔たりを設けたうえで、おそろしい速度で過ぎ去ってゆくのだ (曾根中生の「続 ・レズビアンの世界―愛撫―」では、いきなり洗車場に突込んだ自動車の内部にカメラの視座がおかれる。窓の外に押しよせるモップと水とおびただしいシャボンの泡がスクリーンの全面に一瞬拡がり、その間に惨劇が生じる)。

四方田犬彦「映画はもうすぐ百歳になる」(1986年筑摩書房・絶版)

 

映画がかくも自動車という題材にこだわり、カーアクションやロードムービーといった独自のジャンルまで生み出しているのは、自動車がすぐれて現代的な道具であるという以上に、自動車に乗るという行為が映画を観る行為の比喩であるという隠れた動機があると四方田は述べる。

 

その当否はともかく、ここで引用されている曽根中生の作品は「続・レズビアンの世界ー愛撫ー」ではなく、おそらく「現代娼婦考 制服の下のうずき」(曽根中生監督・1974年日活)のことだろう。どちらも最近、シネマヴェーラ渋谷の曽根監督の追悼企画で上映する機会に恵まれた作品だ。(画像は「現代娼婦考 制服の下のうずき」のポスターをモチーフにしたシネマヴェーラ渋谷のチラシ)

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たしかに「現代娼婦考 制服の下のうずき」のクライマックスは、洗車機のモップと泡と水に覆われた青い日産GT-Rという密室で、宿縁の従姉妹同士が殺人に及ぶ場面である。洗車機の轟音であらゆる声がかき消されているのが恐怖を呼ぶ。上の例えを用いれば、我々は車の中という映画館で起きる惨劇を映画として観る、という自己言及的な体験をすることになる。リュミエール兄弟が世界最初の映画「列車の到着」をパリで上映したとき、観客は迫り来る列車に恐怖して逃げ出したという。映画は恐怖の二つ名なのだ。

 

だが「現代娼婦考 制服の下のうずき」という一本の隠れた傑作に焦点を絞ると、このクライマックスだけをピックアップしてもその魅力はわからないと言うべきだろう。ロマンポルノとしては平均的な尺だが70分という極めて厳しい時間制約の中で、惨劇へと至る二人の女の十数年に及ぶ確執を解きほぐしてゆく手際のよさを抜きにして、この作品は成立し得ないと思われるからだ。

 

*

 

夏川真理(潤ますみ)は6歳の時、孤児院から斉木家に引き取られた。斉木家には死んだ母の姉久子、祖父の惣一郎とその妾ユキ、同い年で何不自由なく育てられた従姉妹の洋子(安田のぞみ)とその兄憲洋がいた。

二人は幼いときから命じる者と命じられる者の絶対的関係が宿命づけられた。真理の母はやくざな男を作って家を飛び出し、男に捨てられて病で死んだ。田舎の旧家にとって真理は娼婦の子として蔑まれるしかない。「何かやったら、孤児院に送り返すから」。そう言えば真理は従わざるを得ないからだ。

 

二人は大学生になり、東京のアパートで同居している。洋子には婚約者がいるが、結婚するまで体の関係を許さないと言いながら、男友達と後腐れのないセックスを楽しんでいる。洋子の仲間に無理にドライブに付き合わされ、山道で置き去りにされる真理。

「一晩中待ってたなんて信じられない。私達だって3時間も待ったんだからね。言いなさいよ、ほんとは私達と一緒にいるのが嫌だったんでしょ。高校の時家出したんだから戻ってこなければ良かったのよ。それを当然の権利みたいに、大学まで行かしてもらってるのは誰のおかげよ」

 

真理とて思わぬことがないわけではない。真理は、外面は良いが内情は爛れた斉木の家の罪を一人で被ってきた。真理の幼い記憶が蘇る。惣一郎の妾の座にいながら憲洋にも股を開くユキ。憲洋が隠し持っていた拳銃で遊んでいるうちに誤射してしまった洋子に、憲洋殺しの罪をかぶせらた真理。

 

洋子の母が危篤になり田舎に帰らなければならなくなったが、真理には帰るなと命じて洋子は一人で帰ってしまう。真理はその間、退屈しのぎに洋子の男と寝る。金を貰って見知らぬ男と寝る。

間もなく洋子の母は死に、洋子は東京に戻ってくるなり荷物をまとめて一人暮らしをはじめると言い出す。真理は驚いて洋子に尋ねる。

「あたしに相談もなしに?」
「私は残りの学生生活を自由に過ごしたいの。真理の命令は受けないわ」
「あたしには命令するのに?」
「私がいつ命令したのよ」
「いつだってよ。憲洋さんの事故の時だってあたしのせいにされたわ。あなたにそう言えと言われて」
「何言ってるのよ。十何年も昔のこと」
「あたしには昔のことじゃないわ」

洋子は無意味だと話を打ち切り、引っ越しの荷造りを済ませるとお別れのドライブに真理を誘う。運転席の洋子が言う。

「真理、タバコ」

 

「母さん、真理のこと心配してたわ。でも私はあなたに何も言わない。あなたは自由よ。あなたのしたいようにすればいいんだわ」
「ええ、そうするわ」

二人を乗せたGT-Rが洗車場に入ってゆく。

 

殺した洋子になり替わった真理は、斉木家の遺産を手に入れながらなお東京で見知らぬ男を漁り続ける。娼婦でい続けることが洋子と斉木家への復讐であるかのように。

 

*

 

真理と洋子の決定的な亀裂は「あたしがいつ命令したのよ」と言ったその口で「真理、タバコ」と命じる洋子の無神経さと、それに無言で応える真理の屈辱によって頂点に達する。この場面がなければ洗車機の惨劇は迫力を失う。逆に言うと、その短いシークエンスだけで充分に二人の埋めがたい溝が伝わるのである。

 

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あゝ決戦航空隊

12月14日の衆議院選挙の投票日を前に、維新の党の橋下徹共同代表が早くも白旗をあげたとも取れる演説をしたらしい。ブロガーのやまもといちろうは「大将は間違っても部下の背中を撃つような話をするべきじゃないと思う」とぼやいている。

維新の党に期待することは何もないので、やまもと氏がどう思うかについては特に興味はない。ただ面白い、というと語弊があるがアンテナにかかったのは次の一節だ(下線は引用者による)。

確かに今回の選挙では維新自体は現有議席に遠く及ばない結果になりそうであることは分かっているんですが、こういうのって一番大事なのは「負け方」なんですよね。最後まで戦い抜いて、全力でやって負けて、そこでようやく次の展望が拓ける。風頼みでない選挙戦が戦えるような組織作りをすることが、本当は維新のような地域政党から国政に打って出る党には必要だったのではないか? と思うわけですが。

 

ここからはいつもの映画の話である。

やまもと氏の言う「最後まで戦い抜いて、全力でやって負けて、そこでようやく次の展望が拓ける」ことを、この国がかつて経験したことのない極限状況下で必死に訴え続けた人物がいたことを思い出した。

大日本帝国海軍中将、大西滝治郎。

海軍航空隊のトップであり、特別攻撃(特攻)の立案者である。フィリピンと台湾で数多の特攻パイロットを見送った後海軍軍令部に仕官、終戦後まもなく、腹を十字にかっさばいて果てた。

 

その大西中将の、特攻の開始から自死に至るまでの苦悩を描いた作品が「あゝ決戦航空隊」(山下耕作監督・1974年東映)である。断っておくと、これから述べる大西滝次郞は「あゝ決戦航空隊」を通して描かれる大西像であり、いわゆる「史実」と異なる可能性は否定しない。

 

 

物語は1944(昭和19)年、フィリピンの第一航空艦隊司令への赴任を前に、大西(鶴田浩二)はかねてより構想していた航空機による体当たり攻撃の可否判断を自分に一任させて欲しい、と海軍大臣米内光政(池部良)に申し出るところから始まる。

ミッドウェイの大敗以降敗走を続ける日本海軍に、残された戦場と戦術の選択肢は少なくなっていた。レイテ島に上陸したマッカーサーの部隊を沖合からの艦砲射撃で粉砕する「(しょう)一号作戦」支援のため、米空母の甲板を250キロ爆弾を積んだ攻撃機の体当たりで破壊し、敵の航空攻撃再開までの時間を稼ぐ。熟練パイロットの殆どを損耗し、練度の低い若年パイロットしか残されていなかった当時の航空兵力にできるのはそこまでであった。大西の立てた戦術は、そのような合理的計算に基づくものであったし、若い戦士に死に甲斐ある場所を与えることでもあった。大西自身はこの作戦はフィリピンでの一戦限りと心に決め、諸君の戦果は追って自らが報告にゆくとパイロット達に訓示する。

 

やがて大西が自ら手を取って見送った体当たり攻撃部隊「神風(しんぷう)隊」の戦果がマニラの大西の許に届く。電文をじっと見つめた大西は部下に命じる。

大本営に報告。昭和19年10月25日神風特別攻撃隊敷島隊は午前10時45分スルアン島北東30海里の地点にて、空母4を旗艦とする敵機動部隊に対し奇襲に成功。空母1、二機命中、撃沈確実。空母1、一機命中、大火災。巡洋艦1、一機命中、撃沈。以上。いいな、一機命中、二機命中だぞ。わかるか。一機、二機だぞ」

 

神風隊の命を賭けた攻撃は報われた。しかし連合艦隊はレイテ沖海戦で敗れ捷一号作戦は失敗、立案者の大西自身「統率の外道」と呼んだ特攻が戦果を挙げたという事実だけが大本営の中で一人歩きをはじめる。やがて特攻はフィリピン防衛の非常措置から軍の正式な「作戦」として採用されるに至る。1945(昭和20)年1月、大西に台湾への転進を命じる連合艦隊司令が届く。大西は呟く。「まだ死ねんのか…」

 

「特攻隊をその手で送り出しながら、今フィリピンを去ろうとしている大西長官、あなたは卑怯者だ」

将校の非難を浴びながら台湾へと飛んだ大西は、「死ぬことが目的ではないが、各自最も効果的に敵を殺せ。最も効果的な死を選べ」と鼓舞し、特攻隊を送り出す。しかし米軍の対抗策により特攻の成功率は落ちて行き、速成パイロットが徒らに命を散らすばかりになる。その責任、非難は大西に集まり、大西は職を解かれ、海軍軍令部次長として内地に帰還する。大西が握手し、飛びだたせた特攻隊員、その数614人。

 

もはや敵の本土上陸がいつになるかが軍令部内で議論される敗色濃厚な戦局下、大西は人命損耗率の高い戦闘は忌避する米軍の戦い方を逆手に取り、特攻による執拗な反撃で敵の士気をくじく戦術を提唱する。

「本職は、いかなる事態に立ち入ろうとも、今一度勝負を賭ける覚悟である。この一戦は絶対負けてはならん。それが先に逝った者達に対するただ一つのはなむけである。我々には徹底抗戦あるのみであることを肝に銘じて忘れるな」

 

6月、100万を超えるソ連兵が満州国境に集結しつつあるとの情報が入り、動揺した陸軍が和平の方向を模索し始める。その根回しをしているのは、米内海軍大臣の一派であると、大西は児玉機関の児玉誉士夫(小林旭)から聞かされる。大西は宮中の最高戦争指導会議の場に無断で乗り込み、米内に戦争継続を必死で訴える。

「日本は勝ちます。必ずや勝ってみせます。あと二千万、二千万人の特攻が出れば必ず勝てるのです。みんなが一人一人、知恵を絞れば必ずや良策が生まれます。私も考えます。今少し、時間を下さい」

「言いたいことがあったら、大臣であるこの私に言えばいい。それが宮中に入る恰好か」

「失礼いたしました。しかし大臣、無量何万という英霊に報いるために、せめて勝利の中での和睦を」

英霊に報いるために、特攻を出す。その霊に報いるために、また特攻を使う。果てしのない滅亡の途ではないか」

「それでもやらなければならんのです。何人死ぬかということではありません。私が申し上げているのは精神です。ここまで血を流してきた日本民族の精神は、最後まで守り通さなければならんのです」

 

8月、日本は軍強硬派を鎮めるためポツダム宣言を黙殺、米軍はその機を逃さず広島と長崎に原子爆弾を落とす。大西は軍令部の高松宮を通して天皇に戦争継続の上奏をはかるが、必勝の策がないことを理由に拒否される。

「次長、もはや万事休すです。今次長がおやりになるべきことは一刻も早く海軍の内部を収拾することではありませんか」

「そうですか。あなたもそう思いますか。だけど、どうやったら収拾できるんですか。国民も、死んだ者も、みんなが納得できる負け方というのは。
この戦争はね、国民が好きで始めたんじゃないんです。国家の戦争なんですよ。国と国との戦いということは、国家の元首の戦いということなんですよ。日本は、そこまで死力を尽くして戦ってきたんですか。
負けるということはですよ、天皇陛下御自ら戦場にお立ちになって、首相も、閣僚も、我々幕僚も、全員米軍に体当たりして斃れてこそ、はじめて負けたと言えるんじゃないんですか。和平か否かは、残った国民が決めることです。
私はそうなることを信じて特攻隊を飛ばしたんです。特攻の若い諸君も、それを信じたからこそ、喜んで散ってくれたんです。何人の者が、特攻で死んだと思いますか。2600人ですよ。2600人もいるんですよ。こいつらに、こいつらに、誰が負けたと報告に行けますか」

 

8月14日、皇居地下で行われた最後の御前会議で、政府は連合軍に無条件降伏、そのため天皇が自ら国民に呼びかけることを決定する。御前会議の後、米内の部屋に大西が招かれる。

「陛下より、いただいたお菓子だよ。一つずつ食べよう」

米内はそう言って、菊の形の白い菓子を大西に渡す。

 「他の誰よりも、この米内が一番よくわかっている。軍人としてなら、君の主張は一理も、二理もある。だがね、いつかは誰かが『この戦争はやめよう』と言いださなければならなかったんだ。もし米軍のほかにソ連軍が本土に上陸したら、日本はドイツのように分割占領されることになるだろう。そうなったら君の言う民族の魂も二つに分裂して、争うようになるかも知れん。
確かに、降伏するということは、明治以来の我が国体の本義に背くことになる。陛下の御聖断は誤った道かも知れん。しかし今、陛下お一人の過ちを問うことよりも、六千万の国民を救うことが先決であることは、君も同感だろう。
本日、御聖断をその天の声として受け容れてくれんか。しかし、どうしても君が抗戦を主張するなら、私は君を斬るしかない」

大西の声は震える。

「わかりました。抗戦は断念します」

「さあ、いただこう」

黙して菓子をほおばる米内と大西。しかし大西の全身は震え、ほおばった菓子でとめどなくあふれる嗚咽の声を押し殺している。

戦争は終わった。

8月16日、大西はフィリピンで散った特攻隊員に約束したとおり、戦争の帰結を報告し、また尚抗戦を主張する厚木航空隊を諫めるため、死者の魂の元へと向かう。 

 

*

 

大西中将の「二千万人特攻論」は精神論が横行していた軍部の中でさえ、狂気の沙汰ともいえるものであったが、笠原和夫がこの作品のシナリオを書くにあたり児玉誉士夫に取材したところ、「大西さんの(二千万人特攻論の)直意は、天皇陛下自ら最前線に立って玉砕していただきたいということだったと思う・・・この戦争に責任を持つ全ての成人男子のすべてが死ななければ、民族の蘇生などはできない、というのが大西さんの結論だった。二千万人特攻論はそのための名目だった」と述べている。笠原和夫はこの思想をほぼそのままシナリオに反映している。

 

天皇を護るべき軍人が天皇の死を望むとは何たることか。だがそれが、天皇の名の下に数多の特攻兵の命を散らした大西の考え得る無上の鎮魂であったのだろう。大西は軍人としてあまりに純粋すぎた。米内と違って政治家ではないのだ。それゆえ、8月14日のポツダム宣言の受諾という事態は如何なる事情があれ受け容れられなかった。それは日本が勝てなかったからではない。のが受け容れられなかったのだ。その心情を、天皇に下賜された菓子を頬張るという仕草で全身から表現する鶴田浩二の鬼気迫る演技が胸を打つ。

 

全力でやって負けて、初めて次の展望が開けると言うやまもといちろう氏もここまで極端なケースは考えていないだろうが、負けるということへの覚悟は、軽々に口にすべきではないという点で同感である。

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Google Earthよりリアル地球儀

今週のお題「今年買ってよかったもの」〈2014年をふりかえる 2〉

 

世界で日々起こっている出来事について、各自で気になるテーマを持ち寄って少人数でざっくばらんに話し合う勉強会を職場で主催することになった。 勉強会の目的の一つが地理感覚を養うことだったので、最初は部屋に設置したPCでGoogle Earthを皆で見ていたのだが、そのうちやっぱりリアル地球儀があったほうがいいという話になり、2675円でこの地球儀を買ってみた。

地球儀 21-GK

地球儀 21-GK

 

 

地球儀をクルクル回してモザンビークはどこにあるとか、北極から見るとカナダとロシアがいかに近いかとか、「イスラム国」の勢力圏はどこかといったことを話し合ったのだが、そういう気づきを掘り起こすには普通の地球儀で十分だ思った。

 

この地球儀は小中学生の学習用を想定しているが、オフィスでの利用にも充分使えると思う。驚いたのは印刷の美しさだ。自分が小学生だった数十年前の地球儀の印刷はもっと雑だったように思う。この地球儀は小さな文字でもかなり鮮明に見える。よく見ると海底の深度や海流もわかるようになっているのに気がつく。

 

ただそれでも、バルカン半島のモザイク状に入り組んだ国々は21センチサイズの地球儀では表示しきれず、拡大図を別紙添付という形になっている。26センチサイズにすればよかったというのが後悔。

 

Google EarthにはGoogle Earthの良さがある。地名検索すれば一発でジャンプできるし、レイヤーを重ねてオリジナル地球儀を作ることも、ストリートビューまで一挙にズームインすることもできる。

 

だが世界のどこで何が起きようとしているかをストーリーとして直感的に把握するのには、モノとしての地球を一つ持っておくことは決して無駄ではないだろう。

たとえば、中米のニカラグアに、パナマに次ぐ第二の運河を建設しようという壮大な計画がある。資金は香港の企業グループが拠出し、建設と数十年に及ぶ運営もするとのことだが、数兆円に及ぶと見られる建設資金をファイナンスする力はいかに巨大でも一企業にはないはずだ。おそらくこの計画の背後には中国政府がついている。とすれば、既にパナマがあるのに中国はなぜわざわざ運河を建設しようとするのかという疑問がわいてくる。

中国の狙いは何だろう。今中国は周辺アジア諸国との軋轢を覚悟の上で太平洋進出を目指しているが、おそらくは太平洋を越えたその先を見据え、大西洋の向こう岸、資源の豊富なアフリカ大陸西海岸とのパイプを強化しようとしているのではないか。

 

そういった推理も、中国大陸から大平洋、中米、大西洋、アフリカへと地球儀をなぞっていくと浮かんでくる。

もちろんこのストーリーに確信があるわけではない。たぶん外れるかもしれない。大事なのは正しい予測ができるかどうかではなく、そうやってストーリーを考えるクセを地球儀で身に着けることだと思っている。

遊び

少女には名前がない。
少年には名前がない。

 

雑貨屋の店先の赤電話で電話帳をめくっていた少女(関根恵子)に、少年(大門正明)が背後から声をかける。

「誰にかけるんだい?俺が探してやるよ」

少女は貧しい女工からキャバレーのホステスに鞍替えして見違えるほど羽振りが良くなった、もと同僚の勤める店の名を告げる。

「ホステスならまだ出勤してないよ。夜になったら案内してやるから、それまで俺と付き合わないか。この銭、表が出たらその辺でお茶でも飲もうや。な、いいだろ?」

少年は十円玉をフリップする。こうして、「くちづけ」(1957)から14年を経て、恋の始まりは再び偶然の手に委ねられる。それが「遊び」(増村保造監督・1971年大映)の幕開けである。

 

*

 

「あんた、いくつ?」
「いくつに見える?」
「にじゅう・・・いち」
「バカ言え、そんな ジジイじゃねえよ」
「じゃあ、十八?」
「いい線いってるぜ」
「あたしより、二つ上ね」
「お前、パーツ工場に勤めてるんだろ。今日は早引けしたのか?」
「どうしてわかるの?みっともない恰好してるから?」
「勘だよ。この辺の女の子はみんな工場務めてるもんな」

少女の家庭は荒んでいた。モグリのトラック運転手だった父親(内田朝雄)が事故を起こして仕事を失い、酒浸りの父に代わって賠償金を母親(杉山とく子)の内職だけで工面していた。おまけに姉(小峯美栄子)はカリエスで寝たきり、その薬代もばかにならない。父はまもなくポックリ死んだ。少女は中学を出ると、住み込みのパーツ工場に働き口を求めた。やがて母は工場にまで金をせびりに来るようになった。お金がないというと、給料を前借りしろと、図々しいことまで言うようになった。

 

「あんた、学生さん?」
「兄貴の店を手伝ってるんだよ。くだらねえ仕事さ」

少年は下っ端のチンピラだった。「兄貴」=兄貴分のヤクザ(蟹江敬三)の下でスケコマシの手伝いをしていた。少年は見ていた。兄貴たちが連れ込み宿で女子大生を輪姦するのを。ゆすりの道具にするため裸の写真を撮るのを。女を売り飛ばす先を相談するのを。兄貴に「お前もやれ」と言われた。だが怯えて勃たなかった。「根性のねえ野郎だ」、兄貴にそう蔑まれた。

 

「キャバレーが開くまで時間がある。映画でも見に行かないか。俺やくざ映画が好きなんだ」

少年は少女を映画館に連れ出し、ポップコーンとコーラの瓶を差し出す。少年は少女の内股に手を伸ばすが、少女は目を閉じ、抵抗しようとしない。少女は思い返していた。工場の休みの日、寮の女工たちが着飾って遊びに行くのを。給料の大半を家族に仕送りしていた自分には羽根を伸ばすお金もなかったことを。少女は今こうして男の人と映画館に居ることが夢で、目を開けたら少年がいなくなってしまうのではないかと思っていた。少年は、自分を恥じて少女と映画館を後にする。

 

「兄弟、お兄さんだけ?」
「そうさ」
「お父さんは?」
「とっくに死んじまったよ」
「お母さんは元気?」
「ああ、元気すぎて困ってるんだ」

少年の母(根岸明美)はおでんの屋台を引いていたが、根っからの酒好きが災いしてロクな商売ができなかった。父親はとうに愛想を尽かして蒸発していた。やがて母親は、家に男を引っ張り込むようになった。入れ替わり立ち替わり違う男が入っている間、少年は部屋を追い出された。

 

キャバレー勤めなんかやめとけ、それより今日は一日遊ぼうと少年は少女を説き伏せ、バーへ、次にゴーゴークラブへと繰り出す。少女が席を外している間に兄貴と連絡をつけた少年は、少女をいつもの連れ込み宿に連れて行って待っていろと命じられ、小遣いを渡される。

 

「腹が減ったな。ここに入って何か食おうか」
「これ、旅館ね? こういうの、温泉マークとか、連れ込みって言うんでしょ」
「そうさ、でも食うだけだよ」
兄貴の命じるまま連れ込み宿に入り、出前のラーメンを待っている間に少年は思う。この少女にこれからどんなおぞましい運命が襲いかかるのかを。

「出よう!こんなところ、まるっきりイカサマだよ」

少女の手を取り、連れ込み宿の業つく婆を張り飛ばして、少年はタクシーに飛び乗る。行き先を尋ねる運転手に、海が見えるでかくてデラックスなホテルを、と答える。

「大丈夫?お金あるの?」
「心配するな。お前の方こそいいのか?パーツ工場の寮、門限あるんだろ?」
「工場なんか、どうでもいいわ。あんたに、ついていくわ」

 

生まれて初めて入る豪華ホテル。熱くて、透明な湯の風呂。豪勢な食事。

風呂上がりの浴衣姿で二人並び、鏡に向かい合う少女と少年。

「あたし、ずっと前から決まってたような気がするの」
「何が」
「二人がこうなることよ」
「バカ言え、今日会ったばかりじゃねえか」
「でもそうなの、あんたに会うために、今日まで生きてきたんだわ」

少年ははじめて打ち明ける。自分がチンピラであること、兄貴を裏切って逃げ出して、明日からどうなるかも判らないこと。少女は、そんなことは初めからわかっていたと答える。

「構わないわ。あたしだって、ヤケになって逃げ出してきたんだもん。お母ちゃんと、カリエスのお姉ちゃんから。みんな忘れたいの」
「ヤケで俺についてきたのかよ」
「はじめはね。でも今は好き。あたし、独りぼっちだったの。自分の好きな人を見つけたかったの」
「俺だって独りぼっちだ!女なんて嫌いだけど、お前は別だ。兄貴なんかに渡せるか!」

ともに独りぼっちの少女と少年はその夜、互いに初めて男と女になった。

 

翌朝、抜けるような青空の葦の原。二人には何もない。金も使い果たしてしまった。工場も、兄貴も、母親も、病気の姉もみな捨ててここに来た。これから行くあてもない。

少女と少年は、川に浮かぶ小さな舟を見つけた。だが舟は底に穴があいているらしく、半分ほど水に浸かっている。少女は舟に乗ろうとして転んでしまい、服を濡らしてしまう。

いっそのこと、脱いでしまおう。少女と少年は服を舟に放り投げ、裸で鞆につかまって向こう岸へと泳ぎだす。木でできた舟が沈むことはないだろうが、実は二人ともかなづちである。向こう岸に泳ぎ着けるかどうか判らない。流れが急になれば、二人とも海に流されてしまうだろう。だが構わない。「一人きり」から「二人きり」になった少女と少年に怖れるものはない。二人は前へと泳ぎだす。

 

*

 

「遊び」は、主人公の少女と少年に名前がない点も含めて、野坂昭如の短編「心中弁天島」を映像化した作品である*1。少女と少年の過去と現在を交互に描写してゆく構成も原作を踏襲している。

 

「心中弁天島」という題名からこの作品は心中譚であることはわかるが、そこに至る心理的過程は原作には必ずしも丁寧に描かれていない。ただ絶望的な境遇の少女と少年が出会い、恋に落ち、そしておそらく死出の旅であろう湖水への泳ぎの状況的過程を美文で簡潔に語るのみである。

 

増村保造の映画が大きく改変しているのはこの点で、「あんた」「お前」と呼びかけ合いながら、少女も少年も境遇や心裡を過剰なほど吐露し、愛情を確かめ合い、「独りぼっち」から「二人ぼっち」になった二人は大きな希望のもとに旅だってゆく。原作では雨の夜中に舟を出すのだが、映画では少女と少年は晴れ渡る青空の下を泳いでゆく。このラストシーンが絶賛に値する美しさであることは言うまでもない。

 

そしてそのラストシーンへと焦点を合わせたがために、通常の映画ならば物語を構成する上で重要と思われる部分までが捨てられ、観客にやや居心地の悪い感覚を与えるのもまた事実だと思う。タイトルから「心中」の二文字が消えたため、結局二人は死ぬのか、生きるのかは曖昧になる。少年はやくざの追手から逃げ切れるのか。少女の母と病気の姉はどうなるのか。二人に幸福は訪れるのか。それらはすべて観客の想像に任せられる。そしてまた、それで良いのかも知れないと思う。

 

1971年に大映は倒産し、専属契約していた増村保造大映での最後の作品は、デビュー作と同じ少女と少年の初々しい恋物語となった。既にテレビに押されて映画界全体が斜陽であったが、大映はその中でも負け組であった。観客の多くは、「遊び」の少年が熱狂していた任侠映画の東映に流れた*2。少年に「あ、出てきた、あの男カッコいいだろ」と言わしめているのは大映の役者ではなく東映高倉健鶴田浩二、あるいは若山富三郎であろう。

任侠映画だけが大映を潰したわけではない。だが大映(日活もだが)に引導を渡す役目を負ったのは高倉健であった。

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*1:ただし原作での会話は関西弁で書かれており、いっぽう題名の地名「弁天島」と最後に二人が流されて行く先は遠州灘であることから舞台は浜松とも思われ、結局どことも知れない地方都市の話とも読めるのに対し、映画では標準語で展開し、舞台は東京の下町であろうと推測される点で両者の印象は大きく異なる。映画のラストシーンは霞ヶ浦で撮影された。

*2:原作では「映画て何見るのん」「東映や、ええやろ」という会話が交わされる。東映イコール任侠映画なのである。

ジーンズブルース 明日なき無頼派

猟銃を構えた梶芽衣子の額のど真ん中に、小さな穴があく。

その穴から一筋の血がすーっと流れる。

彼女が目を見ひらいたまま崩れ落ち、バストショットのフレームの下に消えていくまでがスローモーションで捕らえる。

梶芽衣子が警察の狙撃隊に撃たれ絶命するこのラストシーンのだけのために、「ジーンズブルース 明日なき無頼派」(中島貞夫監督・1974年東映)は作られていると言っていい。

 

*

 

誰もいない深夜の十字路、二台のクルマが接触事故を起こす。一台に乗っていたのはチンピラの次郎(渡瀬恒彦)。ヤクザの本郷(内田良平)の命令で高利貸し殺しを手伝ったが、自分も証拠隠滅のため葬られると知って、高利貸しの金500万円を奪って逃げている真っ最中だった。

もう一台のクルマに乗っていたのは聖子(ひじりこ)(梶芽衣子)。乱交バーの雇われママ、爛れた商売の毎日に嫌気がさし、預かった車のキーでどこへともなく飛ばしていた。 

事故で漏れたガソリンが引火して二人の車を燃やしてしまったことから、二人は通りがかった車を奪って逃避行を共にすることになる。 

「久し振りにスッとしたわ、燃えているクルマ見て。さっきどこ行くつもりだったの?」

丹後半島さ。行こうぜ一緒に。なんか、あんたとだったら気が合いそうな気がするんだよ」

 翌朝、ガレージで買ったポンコツ車で東名高速を西へ進む二人を、本郷とその手下早川(室田日出男)、石松(川谷拓三、極度の吃音でほとんどまともに喋れないという設定が良い)、それに本郷の女マリー(加納えり子)が追う。

 

京都のモーテルに宿を取った次郎と聖子だったが、次郎に迫られたのを聖子が拒んだためにケンカになり、次郎は「女なら外になんぼでもおるんじゃ!」とカネをもったまま飛び出すが、ふとしたはずみみで大金の札束を歩道橋の上からばら撒いてしまう。ドライバーたちが落ちてきた万札を拾おうと路上は大騒ぎに。警察も出てくる騒ぎになり、ほとんどのカネを失った次郎は聖子の運転で再び逃げ出すが、運悪く本郷らに見つかり、振り切ろうとするうちに車をぶつけて次郎は右手の親指切断の重傷を負う。

 

なおも追ってくる本郷たちから逃れた先は貨物列車のコンテナ。次郎と聖子はコンテナの外から施錠され、どことも知れない先へと運ばれる。絶望の中、次郎は、500万円は故郷の妹に渡すはずだったと語る。次郎の妹・百合子(堀越陽子)は病気の友達の手術代を工面するために勤め先の農協の金庫から横領し、次郎に助けを求めていた。次郎は妹のために危険を冒して本郷から金を奪ったのだ。

「出たら別れよう。ワイとおったらあかんねや。ワイとおったら殺されてまうんや。ワイはホンマにアホや。スカタンや。生まれてからいっぺんもツイたことなんかあらへん。こんなアホと一緒で・・・」

「アンタと居るわ。そう決めたのよ。お金なんか何とかなるわ。追っかけてくる奴だって、その気になれば・・・」

聖子はこの、運から見放された男を護ろうと決意する。

 

ようやくコンテナが開けられる。コンテナから飛び出した次郎と聖子はハンターから猟銃を奪い、ガソリンスタンドを襲い、賭博場を襲撃してカネを奪い、追ってくるパトカーに発砲しながら丹後を目指す。一方、次郎の行き先が故郷の丹後だと勘づいた本郷は、先回りして百合子の身柄を抑える。

 

丹後に舞い戻った次郎は、百合子に裏山の山小屋でカネを渡す約束をする。だが翌朝、約束の場所に現れたのは百合子だけではなかった。本郷たちも一緒だった。早川は次郎を嘲笑う。お前は大甘だ、百合子はオトコに貢ぐカネ欲しさに嘘っぱちの手紙を次郎に寄越したのだと。

 

裏切り者は生かしちゃおけねえ。本郷たちは次郎をメッタ差しにする。見張りに立っていた聖子が猟銃を手に駆けつけたとき、もう次郎は虫の息だった。聖子は石松を撃ち、本郷たちを追い払う。山小屋に逃げ込んだ聖子は、次郎の最後の頼みを叶えてやる。銃弾が次郎の心臓を打ち抜く。

 

通報で駆けつけた警察が山小屋を包囲する。聖子は百合子を解放し、次郎が命がけで作ったカネに火を放ち、たった一人警官隊に立ち向かう。

 


 

「ジーンズブルース 明日なき無頼派」は、企画経緯を調べたわけではないが「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde, アーサー・ペン監督・1967年アメリカ)の翻案であり、それは次郎が京都で自分用に仕立てる格子模様のスリーピースとハンチングが、30年代アメリカのギャング・ファッションを田舎者がやるとこうなる、といった風情でまるでサマになっておらず吹き出すようなシーンに垣間見ることが出来る。

 

大恐慌期のアメリカで強盗殺人を繰り返した末に、最後は警察の手で車ごとハチの巣にされて短い生涯を散らしたボニー・パーカーとクライド・バーロウの、破天荒ながら火花のように輝く物語は「暗黒街の弾痕」(You Only Live Once, フリッツ・ラング監督・1937年アメリカ)以来たびたび映画・ドラマ化されているが、クライマックスはやはりその壮絶な死に様だ。下の動画は2013年にアメリカのA&E TVが製作したミニシリーズからのもので、ボニーにはイギリスの女優ホリデイ・グレインジャー、クライドをエミール・ハーシュが演じている。

 

1934年5月23日、実在のボニーとクライドもルイジアナ州の田舎道でこのようにあっけなく殺され、ハチの巣にされたフォードV8の記録映像はYouTubeで見ることができる。

 

オートマチック・ライフルで武装し茂みの中で待ち伏せ、最初の一発で死んだ相手に追い打ちの憎悪をぶつけるかのように何十発もの銃弾を浴びせるのは、太平洋の向こうに暮らす我々の感覚からすると、却って警察のやり方らしさを感じられない。このシーンゆえにボニーとクライドの悲劇はアメリカの人々の共感を得ているのは事実だろうが、日本を舞台に翻案するには別の死なせ方のほうが相応しい。

 

そこで、中島貞夫は警官隊に包囲された梶芽衣子が、たった一発の銃弾で倒れる場面をサラリと描くことで、日本版ボニーとクライドの旅路のあっけない終わりを表現しようとしたのだろう。そしてその戦術は見事に当たっていると思う。

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戦争の霧

トピック「ミニマリスト」について

全然違うことを考えていた。

ミニマリスト」のトピックは今月前半にも公開しましたが、その後もさまざまな記事が書かれ、最近では「最低限の物で暮らす」という定義の「最低限」が人によって異なり、明確な定義はあるの? と話題になっているようです。皆さんが考える「ミニマリスト」とはどういったものでしょう?

ミニマリストというと、美術のフランク・ステラとか音楽のスティーブ・ライヒのことだと思っていたが、最近は「最低限の物で暮らす人」という意味で使われるのか。断捨離とかシンプルライフの謂だろうか。

 

まあついでだからこの方面の話を続ける。

ミニマルミュージックの作曲家にフィリップ・グラス(Philip Glass)という人がいる。グラスは映画音楽のスコアも多く書いているのだが、あいにく観ているものは一本しかない。「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」(エロール・モリス監督・2003年アメリカ)がそれだ。

 

この映画、現在はYouTubeで全編視聴可能だ。日本語字幕がないのがつらいが、冒頭の数分間を見てみると良い。タイトル曲"100,000 People"のシンプルで美しい調べを背景に、北ベトナムを警戒しながら南シナ海を哨戒するアメリカ海軍軍艦の水兵の淡々とした作業風景が映し出される*1

 

ロバート・マクナマラ(1916−2009)は空軍を経てフォード・モーターの社長を務めた後ケネディに国防長官として抜擢され、ケネディ、ジョンソン両大統領期の国防長官(1961-68)としてキューバ危機とアメリカのベトナム戦争への介入に深く関与した。アメリカの戦争の中心にいた人物である。

アメリカがアフガニスタンタリバンと戦っていた頃、85歳のマクナマラの証言と当時の資料映像とで構成し戦争の60年代を再考したドキュメンタリーが「フォッグ・オブ・ウォー」である。マクナマラは言う。"Cold war?  It was a hot war."

 

戦争の映像とミニマル調の音楽は一見ミスマッチに思えるかも知れない。が、グラスの曲は不思議なほど映像に合っている。その旋律は間もなく訪れるベトナムの泥沼の予感させる不安をかすかにはらんでいる。


The Fog of War - Eleven Lessons from the Life of ...

 

この映画を見た後、サウンドトラックをiTunes Storeから購入した。"100,000 People"を時々思い出したように聞いている。

Philip Glass: The Fog of War (Soundtrack from the Motion Picture)

Philip Glass: The Fog of War (Soundtrack from the Motion Picture)

  • John Kusiak & Michael Riesman
  • Soundtrack
  • USD 11.99

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*1:この風景はトンキン湾事件を経て本格的な交戦へと連なってゆく伏線として用いられている