トーキョーナガレモノ

日本映画の旧作の感想。でもそのうち余計なことを書き出すだろう。

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寅さん漬け

とっくに放送は終わっているんだが、録画しっぱなしで半年以上見ていなかったBSジャパン「土曜は寅さん!」を数日かけて12本まとめて見た。第24作「男はつらいよ 寅次郞春の夢」(山田洋次監督・1979年松竹)から第36作「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」(同・1985年松竹)まで。

 

マンネリなのは判っていることなのでいいのだが、寅次郞(渥美清)は永遠不変のフーテンでも、寅次郞の周りは変わっていく。

 

さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は、江戸川の近くに小さなマイホームを建てた。一人息子の満はキャストが吉岡秀隆になり、中学生になった。思春期はもう目の前だ。

 

博のマイホームのリビングには、パソコンが鎮座することになった。死んだ博の父(志村喬)の自宅を処分して、余ったお金で満に買ったものだ。満はキーボードにポチポチ何か打ち込んでいたが、間もなくブラスバンド部でフルートに熱中するようになる。そのままパソコン少年になっていれば、IT起業家になっていたかも知れないが・・・

 

タコ社長(太宰久雄)の朝日印刷も時代の波でオフセット印刷機を導入し、いつの間にか社長に秘書・ゆかり(マキノ佐代子)がついた。秘書と言っても給料袋を配ったり、電算のオペレータをやったりと事務職を全部やっている感じだ。ところでこのマキノ佐代子さんという女優、不勉強で名前をクレジットされていてもどの役だか判らなかった。

名前からピンとくると思うが、彼女はマキノ雅弘と三番目の妻、登喜子の長女。母は鳳弓子という名の東宝の新人女優であったが、結婚と共に引退した。この時雅弘44歳、弓子22歳。マキノ雅弘の自伝「映画渡世・地の巻」によると、懇意にしていた京都の占い師が言い当てた結婚だという。

 

タコ社長の娘・あけみはそれまでスクリーンにでることはなかったが、いつの間にか大人になって美保純をキャストに迎え、めでたく嫁入りしたはいいものの、夫婦ゲンカを度々やらかしてはとらやに出戻ってきて「寅さんに会いたいな」とつぶやく。

 

その寅次郞は相変わらず風の吹くまま気の向くままで、駅のベンチやお寺の庭で寝転がっては、お馴染みの夢を見る。夢のシーンでは松竹唯一の怪獣映画「宇宙大怪獣ギララ」 (二本松嘉瑞監督・1967年松竹)のギララを撃退したり、日本人初の宇宙飛行士に選ばれたりと大活躍。

 

夢から醒めても一度恋に落ちるとポーッとなってしまう寅次郞、佐渡島で知り合った演歌歌手・はるみ(都はるみ)に惚れてしまい、電気屋でウォークマンを手に取り、はるみの歌をエンドレスでかけながらフラフラと柴又を徘徊。寅次郞の恋ごころを表現するガジェットも80年代ぽくなった。

 

そういえば、その第31作「男はつらいよ 旅と女と寅次郞」(山田洋次監督・1983年松竹)で寅次郞とはるみを佐渡に乗せてゆく漁船の漁師に「発禁本「美人乱舞」より 責める! 」の山谷初男が扮していて少し嬉しくなる。脇役と言えば、下條正巳の前に「とらや」のおいちゃん役を演じていた松村達雄は寺の住職、大学教授、定時制高校の教師と役名を変えて度々登場。

 

定時制高校や島の小学校といった「教室」の作る人の繋がりは山田洋次の気に入りのテーマのようだ。「男はつらいよ 寅次郞かもめ歌」(同・1980年松竹)では学ぶことの楽しさを知った寅次郞も定時制高校に入ろうと願書を出すが、教師の松村達雄は願書を、申し訳なさそうにさくらに返す。寅次郞は中学を卒業していないから、入学資格がないのだ。

 

何も変わっていないように見える寅次郞も、もう人生をやり直せない年にきていることには気がついている。第28作「男はつらいよ 寅次郞紙風船」(同・1980年松竹)では自信満々で受けたセールスマンの就職試験にさえ落ちてしまう。だから第34作「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郞」(同・1984年松竹)ではまだ若くフラついている風子(中原理恵)に「カタギになれ」と叱咤する。自分のように侘しい身になる前に、地に足をつけて暮らせと。

 

もっとも、定職に就くことがそれだけで幸せとは限らないことは今や常識だが、80年代にもその萌芽は現れている。女房に逃げられたサラリーマンも、激務に疲れて家出したサラリーマンもこの時期の「男はつらいよ」には登場する。男のつらさも色々なのだ。

 

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盲獣

「あなたは、何者なの!?」

「ぼくは、彫刻のまねごとをしている男です」

「彫刻!?」

「ぼくはめくらです。それも生まれ突き目の神経がダメで、何も見えないめくらなんです。めくらって、あわれなものだ。この世の中には目を楽しませるものがいっぱいある。太陽の光、雲の色、美しい景色、素晴らしい絵、芝居、映画、テレビ。ところがぼくには何も見えない。

触覚。ぼくはこの唯一の楽しみに取りすがって、手に触れるものは何でもかんでも撫でてみた。その中で、生きものの手触りが一番楽しかった。暖かくて、柔らかくて。イヌやネコを飼って抱いたこともあるし、牧場に行って羊や馬と遊んだこともある。だけど、どんな生きものも人間には及ばない。それも、女の体の手触りにはとてもかなわない。

その頃、死んだ親父の畑が高速道路に引っ掛かって、何千万円という値段で売れた。だけど、そんな大金はめくらのぼくには使い途がないんだ。色々と考えた末に、この倉庫を買って彫刻を始めたんだ。過去に触った女の体から、気に入った部分を選び出してみんな彫刻にした。いつでも撫でて触って楽しめるように。
これがぼくのアトリエです!どう思いますか?」

「あなたは気違いだわ!」

「ぼくはもうこのアトリエに飽きてきた。女の体ってこんなもんじゃない。世の中にはもっと美しい女がいる。素晴らしい肌がある。どうしても会いたい、触りたいと思い始めたとき、電車の中であなたの噂を聞いた。学生たちが、あなたの写真と彫刻を盛んにほめていたんだ。ぼくは、個展に行って自分の手で彫刻を調べてみた。あなたが頼むマッサージ屋に入って、本当の体にも触ってみた。結果は評判通りでした。今までのどの女よりも魅力のある体だった。形も肌も、ぼくの好みにぴったり合っていたんですよ!」

「近寄らないで!」

「安心して下さい、乱暴はしません!」

「あたしをどうするつもり?」

*

「盲獣」(増村保造監督・1969年大映)は1931年に発表された江戸川乱歩の同名小説を原作としているが、これは原作の前半部分だけを拝借し、翻案を加えたほぼオリジナル作品と言っていい。

乱歩の原作におけるタイトルロール「盲獣」は没落した明治の富豪にして全盲の殺人鬼である。盲獣はレビューの踊り子水木蘭子を手始めに、カフェのマダム、未亡人、海女の四人を次々と自宅に監禁し、その体に飽きたら殺してバラバラに解体し、その首や手足を町中に遺棄して騒ぎが起きるのを愉しむという、狂った性癖と残虐性の持ち主として描かれる。その残虐行為はページを追ってエスカレートしてゆき、昭和初期のエログロ文化の窮みとも言うべき作品である。

 

盲獣とは何か。増村保造の映画化作品は、時代設定を現代に置き換え、登場人物をファッションモデルの島アキ(緑魔子)、彼女を監禁する自称彫刻家の蘇父道夫(船越英二)とその母(千石規子)のわずか三人に絞り、ヴィジュアルでは原作のグロテスクさを再現しながらも心理ドラマとしてのストーリーを追求する。

 

壁のその部分には 、お椀をふせたような突起物がウジャウジャと群がっているのだが 、その一つをヒョイと押えると 、こんにゃくみたいにブルンと震えて 、押えた箇所が窪んだではないか 。しかも 、それは生あたたかくて 、まるで生きた人間の肌にふれたような手ざわりなのだ 。

蘭子は 、ギョッとして手を引っこめ 、よくあらためてみると 、そのお椀ほどのイボイボの部分は 、薄赤いゴムでできているらしく 、温度は裏側からなにか仕掛けがしてある様子だ 。

まあ 、これ人間の乳房とそっくりの手ざわりだわ 。気味がわるい 。

もし蘭子がもっと冷静であったなら 、まだまだ不思議な事柄を発見したはずである 。というのは 、その群がり集まった乳房が 、決して同じ型で作ったものではなく 、それぞれ個性を持っていたことだ 。百人の女を並べて 、そのおのおのの特徴ある乳房を 、一つ一つ 、丹念に模造したというような 、一種不思議な 、ゾッとするような感じが身に迫ってくるのだ 。

だが 、蘭子はそこどころではなかった 。ひとたび乳房に気がつくと 、部屋じゅうのあらゆるでこぼこが 、皆それぞれの意味を持っていることがわかってきた。

ある部分には 、断末魔のもがきをもがく 、大きな千の手首が 、美しい花のように群がりひらいていた 。ある部分には 、さまざまの形に曲りくねった 、そして 、その一つ一つが 、えもいえぬ媚態を示した 、数知れぬ腕の群れが 、巨大な草叢のように集まっていた 。また 、ある部分には 、足首ばかりが 、膝小僧ばかりが 、このほか 、肉体のあらゆる部分々々が 、どんな名匠も企て及ばぬ巧みな構図で 、それぞれの個性と嬌態を 、発散していた 。

ふと気がつくと 、蘭子が今踏んでいる床は 、よく見ればこれはまた 、実物の十倍ほどもある 、巨大な女の太腿であった 。いやらしいほどふっくらとした肉付 、深い陰影 、それに 、驚いたことには 、産毛の一本一本 、毛穴の一つ一つまで 、気味わるいほど大きくこしらえてあるではないか 。

眼で追って行くと 、それだけは余り巨大なために 、たくさん並べるわけにはいかず 、一人の全身が 、やっと上半身までしかない 。小山のようにふくれ上がった 、丸まっちいお尻と 、その向こうには 、肩から脊筋へかけての 、偉大なスロ ープがつづいていた 。材料は 、印度美人の肌のように 、ツルツルと滑っこい紫檀の継ぎ合わせでできている 。それだけの費用でも 、実に莫大なものだろう 。

だが 、怖いもの見たさに 、部屋じゅうをグルグル見まわしていると 、またしても恐ろしいものを発見した 。薄暗い電灯のために (その光線とても 、主人公には全く不要なのだが )よく見通しが利かず 、向こうの行き止まりの壁は 、つい注意もしないでいたが 、男の声が 、どうやらそのほうから響いてくるらしいので 、眼をこらして眺めると 、そこには 、今までのものとはちがった 、人体の部分が押し並んでいたのだ 。

先ず眼につくのは 、ピカピカと油ぎった 、きめの細かい鼠色の木材でできた 、おのおの長さ一間ほどもある 、巨大な人間の鼻の群れであった 。

三 、四十箇の 、人間一人分ほどもある恐ろしい鼻が 、種々さまざまの形で 、押し並び 、重なり合って 、黒く見えるほら穴のような鼻の穴が 、小鼻をいからせて 、こちらを睨みつけていた 。

鼻の群れの隣に 、畳一畳ほどもあるのから 、実物大のものにいたるまで 、大小さまざまの唇が 、あるものは口を閉じ 、あるものは半開にして 、石垣のような歯並みを見せ 、あるものは 、大口をあいて 、鍾乳洞のような喉の奥までも見せびらかしていた 。

もっと恐ろしいのは 、眼の一群である 。これには象牙ようの白い材料を用い 、なんの色彩もなく 、大理石像の眼のように 、あるいはそこひの眼のように 、まっ白にうつろに見ひらいたまま 、あらぬ空間を睨みつけている 。それが 、やっぱり 、大小さまざまの形で 、押し並び重なり合っているさまは 、ちょうど望遠鏡で眺めた月世界の表面のようで 、実にいやらしい感じである 。

(江戸川乱歩「盲獣」)

 

映画「盲獣」は、壁面を女体のパーツで埋め尽くし、中央に巨大な女のトルソーを横たえた、この狂ったアトリエを原作にほぼ忠実に再現する。アキはマッサージ師に化けた道夫にクロロホルムを嗅がされ、この部屋に閉じ込められる。

 

原作と異なり芸術家肌の道夫は、めくらにしかできない触覚芸術の最高作品を作りたい、そのモデルになって欲しいとアキに懇願する。もちろん気味悪い中年男の頼みを聞くいわれはアキにはないが、アトリエに閉じ込められている以上従うしかない。

 

アキは仮病を装いアトリエからの脱出を試みるが、間もなく道夫の母に見つかってしまい、スキあらば逃げ出そうという魂胆を道夫に見抜かれ二人の関係は険悪になってしまう。ここまでは、主導権は道夫の側にあった。

 

だが道夫にマザコンの気質を発見したアキは、「あなたは本当の女を知らないんだわ。だからこんな大きなゴムの女を作って、抱かれていたいのよ」と挑発し、道夫を誘惑する。嫉妬する母親を尻目に、アキは道夫と食卓を囲み、ワインのグラスを開ける。童貞の中年男を手玉に取り、ウソで固めた恋のフレーズで道夫を虜にする。

 

道夫はアキに恋してしまったことで、母との間に亀裂が生じる。息子を取られた嫉妬から、母はこっそりアキを逃がそうとするが、道夫に感づかれてしまう。狼狽する道夫、逆上する母、挑発するアキ。三人の思惑が激しくぶつかり合い、ついに母とアキは取っ組み合いの乱闘になる。道夫の手でアキから引き離された母は、そのはずみで頭を強打し死んでしまう。

 

母を殺してしまった悲嘆にくれる道夫の側をアキは抜き足で通り抜けようとする。が、視力を持たない代わりに気配を察知する能力に長けた道夫に見つからないはずがない。

「やっぱりそうか、好きだ、愛してるなんてみんなウソなんだ!ひどい女だ、めくらだと思ってまた騙したな!お前は母さんの代わりに、一生ここに居るんだ!オレを母さんに甘えている赤ん坊だと言ったな!彫刻が生きた女の代わりだと笑ったな!ようし、お前を抱いて、一人前の男になってやる!」

こうして、歯車は道夫にとってもアキにとっても狂い始める。

*

 道夫とアキが暗いアトリエで幾度も情交を重ねるうちに、それぞれの内面に変化が現れる。道夫は彫刻への情熱を失う。しょせん彫刻は生きた女体の代用に過ぎないと悟る。アキは逃げるどころか道夫の触覚を愛おしく感じるようになり、愛が深まるにつれ、アキは次第に視力が弱まってゆく。

 

「あたしこの頃、目が見えないの。いつも暗闇の中で、手ざわりと肌ざわりだけを愉しんでいるでしょう。目なんて使わないから、だんだん弱くなってきたんだわ」

「オレと同じめくらになったわけか。どうだ、不自由か、悲しいか」

「反対だわ。めくらがかわいそうなんて、とんでもない間違いね。めあきのほうが、ずっと哀れだわ。だって、触覚の楽しさを知らないんですもの。触覚って素晴らしいわ。甘くて、深くて、確かで。」

「オレは気ちがいじゃないだろう」

「気ちがいどころか、凄い人ね。まるで人間と思えないくらい、触覚が鋭いんですもの。うらやましいわ」

アキは「昆虫の敏感なヒゲのように」触覚を研ぎ澄ませ、目のないクラゲやヒトデのような下等動物への退化を夢想する。

 

しかしその甘い快楽こそが罠だった。肌の快楽、それは人間の欲望で唯一、自然なブレーキがきかない欲望である。通常の触覚の快楽で飽き足らなくなった道夫とアキは、さらに激しい快楽、強い刺激を求めて互いの体を傷つけ合う。噛む。殴る。鞭打つ。刺す。傷だらけになりながらなお快楽を求めてやまない二人は、すでに生の終わりが近いことを感じ始めている。

 

ここでもう一度乱歩を引こう。

「さあ 、もっともっとひどく 、傷をつけて !いっそ 、そこの肉をえぐり取って ! 」

身もだえする蘭子を前にして 、彼はとうとう恐ろしい計画を立てた 。

「そんなに傷がつけてほしいのかね 。そんなに痛い目がしたいのかね 。よし 、よし 、それじゃ 、わしにいい考えがある 。お待ち 、今にね 、お前が泣き出すほど 、嬉しい目に合わせてやるからね 」

彼は刃物を蘭子の腕に当てて 、グングン力を込めて行った 。

「アッ 、アッ 」

蘭子は悲鳴とも 、快感のうめき声ともつかぬ叫びを立てて 、烈しく身もだえした 。

「もっとよ 、もっとよ 」

「よしよし 、さあ 、こうか 」

彼女は遂に泣き出した 。痛いのか快いのか見境もつかなくなって 、わめき叫んだ 。

盲目の夫は 、刃物に最後の力を加えた 。メリメリと骨が鳴った 。そして 、アッと思う間に 、蘭子の腕は 、彼女の肩から切り離されてしまった 。

滝つ瀬と吹き出す血潮 、まるで網にかかった魚のようにピチピチとはね廻る蘭子の五体 。

「どうだね 。これで本望かね 」

盲獣は闇の中で 、薄気味わるい微笑を浮かべていた 。蘭子は答えなかった 。答えようにも 、彼女はすでに 、意識を失ってしまっていたからだ 。

(江戸川乱歩「盲獣」)

乱歩の世界では、既に男は女の体に飽き飽きしていた。だから蘭子の要求にかこつけて彼女を「処分」してしまい、次の獲物に乗り換えようとしていた。

増村の映画でも、クライマックスはほぼこの描写をなぞる。だがそこに至る覚悟のほどは大きく異なる。道夫とアキは、並んで横たわり息も絶え絶えながら必死に言葉を絞り出す。

 

「こんなことになって、後悔しているか」

「どうして? 普通の人間にはわからない楽しみを、思う存分味わったんですもの。いつ死んだっていいわ・・・ねえ、いいことを思いついたわ。どうせ死ぬなら、最後に、うんと楽しませてよ!泣き出すほど喜ばせてよ!」

「どうするんだ」

「あたしの腕を切り取ってよ。足も切って。この体をバラバラにしてほしいわ。きっと、ものすごく痛いけど、とても楽しいと思うの。その楽しさの中で、ひと思いに死にたいわ」

「このまま苦しんでいるより、マシだというわけか」

 

そして道夫はフラフラの体で出刃をアキの右肩にあて、ハンマーを振り下ろす。アキの叫び声と共に、放置されて久しい道夫の作りかけの彫刻の右腕が落ちる。

左の肩に包丁を当ててハンマーを下ろす。彫刻の左腕が崩れる。

そして彫刻の右足、左足が次々と落ちてゆく。このショットが、直截的には映し得ないアキの四肢切断と、道夫・アキの触覚ユートピアの崩壊の両方をおぞましくアレゴリカルに表現する。

 

アキが息絶えるのを見届けて、道夫もまた出刃を胸に当て、心中を遂げる。

 

盲獣とは何か。それはこの映画においては一義的にヒロイン・アキの心であり、視覚を差し出し、四肢を失い、ヒトであることをやめてでも快楽を得させることをためらわない欲望である。それはめくらのハンデを逆手に独自の芸術を完成させようとする点で常識外れながらも人間らしさを持つ道夫をも、悦楽の底へと引きずり下ろす行動となって現れる。

 

そうした人間の意識下の獣性を、アキの豹変を通して描いたのがこの作品だろう。増村保造の映画の中で最も奇怪な作品だが、ただの際物映画からは遙かな高みに達している。

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ドミニカ行きの飛行機の機内で「自分は今エボラ出血熱に感染している」と冗談を言ったアメリカ人男性が、着陸先で当局に連行されるという事件が起きた。*1

エボラの感染・死亡者が出てパニック状態のアメリカではさすがにこれは冗談では済まなかったようだ。そうでなくても密室の機内でこんなことを言うのはおふざけがひどすぎるというべきだろう。

 

ところがこういう不穏当発言が主人公のピンチを救う場面はサスペンス映画では案外よく見かける。その一つが「首」(森谷司郎監督・1968年東宝)だろう。

*

昭和19年2月、弁護士の正木(小林桂樹)は混雑する常磐線で水戸から上野へと急いでいた。 手荷物は蓋付きバケツを包んだ風呂敷、バケツの中身は、死体から切り取った首だ。

 

遡る1月の末、茨城の炭鉱で先山(鉱夫頭)の奥村が警察署で留置中に死んだ。奥村は花札賭博の嫌疑で取調べられていた。死亡診断書には「脳溢血(推定)」と書かれていた。炭鉱の申し出で死因に不審な点があると見た正木は検事局を司法解剖をせっつかせるが、逆に検察に根掘り葉掘り問いただされる。

 

現地に出向く列車の中で、同行した鉱山長の滝田静江(南風洋子)から、「昨日司法解剖を行った」という検察の電報を見せられる。慌てて解剖したとしか思えない。現地に出向くと、解剖所見はやはり「脳溢血」であったことを聞かされる。

 

このことで、正木は却って奥村は警察で殺されたとの疑いを深める。滝田の炭鉱は、闇物資の上納で競合会社と癒着した警察から度々嫌がらせを受けていた。警察はおそらく架空の罪をでっち上げ、奥村を拷問して殺したに違いないのだ。信頼していた検察も権力で証拠隠滅を図ろうとしている。木枯らしの吹くなか、正木は奥村の墓前で静かに怒りの炎を燃やす。

 

「じゃあここへ、その首だけを持って来たらいいじゃありませんか」

相談した東京帝大の解剖学の南教授からの意外な言葉に正木は耳を疑う。警察の許可なく墓を掘り起こし、遺体を損壊すれば刑法違反だ。正木が告発状をちらつかせて司法解剖を迫った検察には、マークされて尾行がついているかも知れない。何より、そんな危険を冒して持って来た首の鑑定結果が、もし本当に脳溢血だったらどうする? だが奥村の遺体が腐り、再鑑定が出来なくなる前に一時間でも早く証拠を押さえるにはその方法しかない。

 

翌朝、正木は諦めかけていたのを説き伏せた滝田静江と、南の解剖助手中原(大久保正信)とともに、茨城へと向かう。中原は行き先も、目的も知らされていない。

吹きすさぶ雪、滝田鉱山の鉱夫たちが見張る中、中原の協力でやっとの事で首をバケツに入れに入れギリギリ上野行きの汽車に飛び乗った正木たちであったが、車中では官憲が闇物資の取り締まりをやっていた。バケツを開けさせられたらアウトだ。警官は次第に近づき、正木の風呂敷の前で立ち止まる。

「これは誰のものだ?」
「私のものです」
「中に何が入っている?」
「闇物資じゃありませんよ」
「そんなことは聞いていない!開けてみろ!」

窮地に陥る正木。そこに中原が機転を利かせる。

「こりゃ買い出しの品じゃありません」
「何が入っているんだ!」
人間の首だよ
「バカにするのもいい加減にしろ!」
「汽車に乗るまではそうでもなかったが、この暖かさでムカムカするような臭いがするでしょうが!」

周りの乗客が合いの手を出す。

「こりゃ魚だよ。魚のはらわたの腐った臭いだよ」どっとウケる乗客たち。
「妙なもの持ち込みやがって。じゃあデッキに出ろ!ほかの者の迷惑も少しは考えろ!」
「ウチの畑の、肥やしにでもと思いまして」弁解しながら客室を出る正木たち。

*

こうして無事東京に戻った正木は首を早速東大の法医学研究室に持ち込み、死因は頭部への激しい暴行であるという鑑定結果を手に入れる。

 

その後の顛末は映画では触れていない。映画の素になった事実としては、正木弁護士は拷問の主犯である巡査部長と脳溢血の診断書を書いた警察医を告発、終戦をはさんで昭和30年に巡査部長に懲役3年の有罪判決が下されている(警察医は不起訴)*2。映画は鑑定の後、ホルマリン漬けにされた首が保管先の慶應義塾大で空襲に遭い焼失する様を描くだけである。

太平洋戦争が終わればこんな酷いことはなくなると正木は期待していたが、戦後も大して世の中は変わらなかった。そして正木自身も、戦時中と変わることなく法の下の正義のために戦い続けていることを示して映画は終わる。

 

人間の首などという物騒な荷物を抱えて汽車に乗り込んだ正木のピンチを救ったのは、「これは人間の首だ」という事実の一言だった。警官は闇物資の取り締まりにしか注意が向いていなかった。そこに予想外の一撃を食らわせて、事実を冗談だと思わせることにまんまと成功したのだ。この作品の最も面白い場面である。

 

それにしてもこの「首」という作品は、正木弁護士を演じる小林桂樹が、序盤のサラリーマン然とした容貌から、事件の核心に近づくに連れて鬼気迫る表情になってゆく変わりようが凄まじい。自分で自分を追い込んでいるようにも見える。死体が腐る前に再度鑑定して早く証拠を掴まないと、事件は永久に闇に葬られてしまう。自分の魂も腐ってしまう。何とかして死体を押さえなければ・・・そのジリジリとした焦りと気迫が眼鏡の奥から伝わってくる。 

 

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からみ合い

向かいの席でタバコをふかしているこの男、吉田という名の嫌味たらしい男との偶然の再会のせいで、銀座のウィンドウショッピングは台無しになってしまった。

——嫌な日になった。せっかくの散歩を台無しにして、思いもかけなかった不愉快な男と出会って。子供みたいだった二年半前、今では一世紀も昔のような気がする。気負ってはいたが、いつもお小遣いの足りないサラリーガール、コンクリートの穴蔵と、木の匣みたいなアパートの四畳半、あたしの生きがい、その誇らしい傷口・・・

やす子(岸惠子)は思い出す。彼女がかつて秘書として仕えていた東都精密工業社長河原(山村聰)のこと、まだ「宮川君」と名字で呼ばれていた頃からの社長との関係を。

*

河原は胃癌で自分の余命があと半年もない事を知った。

大企業の傲岸不遜な社長として君臨し、二十歳も年の離れた妻・里枝(渡辺美佐子)と麻布の豪邸に暮らす河原は、しかし、総額三億円にのぼる自身の財産を相続させる実子がいなかった。河原は、あちらこちらで違う女に生ませた三人の隠し子を探しだし、気に入れば跡取りにすることを思いつく。誰も気に入った者がいなければ、里枝の法定相続分以外は社会事業に寄付するつもりでいる。

 

顧問弁護士の吉田(宮口精二)に割り当てられたのは真弓という娘を探すことだった。

吉田の部下、古川(仲代達矢)は福島で、マリという芸名で温泉客相手のヌードモデルをしているその娘(芳村真理)を見つける。欲望にぎらつくマリを見た古川は、彼女を河原の気に入る相続人に仕立てあげる計略を持ちかける。遺産が手に入ればバックマージンは5千万、吉田から独立するための資金が古川の手許に転がり込む算段だ。

 

河原の妻・里枝とその従兄弟で東都精密の秘書課長でもある藤井(千秋実)は、川越にいる七歳の娘・ゆき子を探すよう命じられるが、その子はすでに他界していた。藤井と里枝は、不倫でできた隠し子をゆき子に仕立て上げ、里枝を後見人に据える作戦を立てる。子供の戸籍を改竄するという、かなり危険な橋を渡って。

 

やす子は河原が満州で生ませた定夫(川津祐介)という20歳の青年を探すよう命じられた。だが定夫は鵠沼海岸界隈で有名な不良大学生だった。定夫はやす子に目をつけ、執拗に取り入ろうとする。

 

癌の切除手術後、自宅療養しながら執務する社長のため会社と河原邸を往復することになったやす子は、ある日台風で家に帰れなくなり河原邸に泊まることになる。

そしてその夜、やす子は病んでなお精力盛んな河原に体を奪われてしまう。翌朝、十万円の現金が入った白い封筒がやす子に渡される。月給二万円のやす子は、その汚れた金を持っていたくないがために、この金でゲランの香水を買おうと決める。

そしてまもなく、やす子は河原の屋敷に一室をあてがわれ、毎夜河原の夜伽をさせられるようになる。そのたびに白い封筒をもらい、そのたびにやす子の罪の感覚は摩耗してゆく。

 

——私はお金に慣れ、病人のわがままに慣れはじめた。慣れると楽になる。だから人は色んなものに慣れる。欲にも、辱めにも。

 

河原の死期が近づき、それぞれの思惑を抱いた3人の子が河原の元に集まる。
定夫は河原に真っ先に追い払われる。藤井の策略でチンピラに喧嘩を吹っかけられ、警察沙汰を起こしていたからだ。


定夫と入れ替わりに屋敷の玄関に上り込んだのは警察だった。刑事はマリを殺人の容疑で連行する。マリの本名は真弓ではなく真理恵、マリを真弓と誤認した古川を騙し続けるために姉の真弓を殺し、成りすましていたのだ。浅はかな計略が失敗に終わった古川も河原邸を叩きだされる。三人の子のうち、ゆき子だけが残った。

 

だが、遺産を寄付させて財団法人を設立し、その理事の椅子を手に入れる腹づもりの吉田は、里枝と藤井の企みを掴んでいた。里枝を切り崩す切り札となる戸籍謄本は吉田の手にあったが、真弓の一件の再調査のため福島に行かざるを得なくなる。吉田はあとをやす子に託す。

 

その頃、やす子は妊娠が発覚する。子供のように悦び、遺産を託すと告げる河原に、やす子は泣きながら訴える。「いいんです遺産だなんて。私、それが嫌で言わなかったんです。ただ認めてさえいただければ。子供は私が働いて育てます」

無論それで河原が引き下がるはずもない。遺産はお腹の子に分け与えると約束する。洗面で涙を洗ったやす子は、鏡に映る自分の顔を見つめる。

 

——恐ろしかった瞬間が過ぎた。ふと思いつき、化粧を落として素顔になり、硬い青ざめた膚がむき出しになったとき、自分の中に今までなかったはたらきがある事を知った。自分の話す言葉そのものになり、自然に涙が流れ、感情がほとばしり、時が過ぎた。

 

遺産は法定相続人の里枝、そしてゆき子、そしてやす子のお腹に宿った子に三分の一ずつ託される遺言状が書かれ、河原は苦しんで死ぬ。

だがまだ遺産を狙っている者がいる。そして切り札はやす子の手中にある。やるべきことは残されている・・・

 


 

「からみ合い」(小林正樹監督・1962年文芸プロダクション=にんじんくらぶ=松竹)の魅力は、冷たい美貌、「社長夫人になるために生まれてきた」ような鼻持ちならなさの渡辺美佐子、古川の計略に乗った瞬間にぞっとする目を見せる芳村真理、地味なOLからしたたかな悪女へと変貌を遂げる岸恵子の三人の悪女ぶりだろう。彼女たちの前ではベテラン宮口精二も千秋実も影が薄くなる。

 

人が悪に変わるには、やす子の言うように「ふと思いつき」、ほんの一瞬の勇気を出せばいい。あとは惰性がすべてを押し流してくれる。

 

武満徹の渋いジャズ調のテーマ曲が心地よい、スタイリッシュなミステリ作品だが国内向けのDVD化はされていない。アメリカで発売されているDVD(下記のボックスセットに収録)はあるがリージョン1なので再生環境に注意が必要だろう。それ以外はフィルムでの上映機会を探すしかなさそうだ。

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妻は告白する

——以上で本件の審理を終わるが、最後に被告人は何か言うことがありますか。もし自由の身になったら、どうするかね。

——今度こそ、幸福な結婚をしたいと思います。殺人罪の被告として、こんな辱めに遭うのも、今までの結婚が不幸だったからです。

*

彩子(若尾文子)は不幸な女だった。

——被告人が滝川氏と結婚したのは。

——五年前、私が大学の薬学部に在学中の時です。

——結婚の動機は。

——滝川が突然申し込んだんです、研究室で。私は十一の時戦災で孤児になり、叔父に育てられました。叔父のうちも楽ではなかったので、一日でも早く薬剤師として独立しようと思ってました。奨学資金が少なかったので、助教授だった滝川の 研究の下調べや雑用をして手当をもらい、どうにか生活をしていました。でも過労と栄養失調で、毎日がとても暗く、自殺さえ考えていた時に・・・

深夜の研究室で滝川(小沢栄太郎)に犯された。

ーー私、結婚を承知しましたわ。一日でも早く苦しい生活から逃れたかったからです。

それでも彩子は滝川を愛そうと自分に言い聞かせた。学校も辞め、夫の趣味の登山にもつきあった。

それでも滝川は彩子を愛してはいなかった。 安月給のくせに生活より登山を優先し、子供に金がかかる、と妊娠した彩子を堕胎させた。安くて便利な家政婦、それが滝川の妻であることの意味だった。離婚の申し出にも、滝川は応じなかった。愛がない、というだけでは裁判所も離婚を認める可能性は薄かった。

*

「狂恋の夫殺し」。センセーショナルな事件に記者の殺到した東京地裁22号法廷で、葛西検事(高松英郎)は起訴状を読み上げた。

——被告人は某滝川亮吉の妻であるが、昭和36年7月15日、右滝川に幸田修を加えた3名で長野県北穂高岳滝谷の第一尾根岩壁登攀中、まず先頭の滝川が滑り落ち続いて同人とザイルに結ばれていた被告人も引きずられて転落した。
あやうく幸田に支えられ、被告人と滝川とは一本のザイルによって岸壁の上部に宙づりとなった。被告人はかねてより幸田に好意を寄せ秘かに情を通じていたため、夫滝川との夫婦仲はとかく円満を欠いていた。
そこで被告人は、咄嗟の間に夫を殺害して夫が被告人を受取人としている生命保険金(金額五百万円)と右幸田を得たいと考え、やにわに携帯していたナイフで自分の下方のザイルを切断し、滝川を約500メートル下のB沢渓流の谷に転落、死亡せしめたものである。
罪名、殺人。罰条、刑法第199条。

いっぽう被告側弁護士の杉山(根上淳)は、ザイル一本で宙吊りの人間二人を支えていたら、支えている幸田(川口浩)はいずれ失神して死ぬし、滝川夫妻も助からない、したがってこれは刑法37条の「緊急避難」にあたるやむを得ない措置であるとして無罪を主張した。

裁判は彩子の滝川への殺意の存在、つまり彩子と幸田が愛し合っているのかを巡る争いになった。

——証人は、幸田君と被告人滝川彩子の関係を知っていますか。

——はい。幸田はたびたび奥さんと会っていたようです。

——何の用で?

——存じません。

——幸田君は最近あなたに対してどんな風でした。

——申し分のない婚約者です。いつも食事や映画に連れて行ってくれました。

——幸田君が、滝川さんの奥さんに愛情を抱いていると思いますか。

——思いません。同情はしてるでしょう。

証言台に立った幸田の婚約者理恵(馬淵晴子)は、しかし、製薬会社の連絡係として滝沢宅に出入りしていた幸田が、彩子に同情以上の想いを寄せていたことを、幸田自身も気づかない彼の本心を見抜いていた。彩子が幸田を愛していることも。

*

最終弁論で彩子は「自由になったら幸福な結婚をしたい」と述べ 、裁判官の心象を悪くしてしまった。

——幸田さん、判決の日まであたしの側にいてくれる?あたしを愛してくれる?思いっきり。いっぱい。せめてその間だけ幸せになりたい。あとはどうなったっていいの。

——わかりました奥さん。会社から休暇を取ります。

彩子と幸田は二人きりで湘南海岸での数日を過ごした。

——今夜きりね。二人でいられるの。

——そんなことありませんよ。一生二人で暮らしましょう。奥さん、僕と結婚して下さい。

——だってあなたには理恵さんというちゃんとしたお嬢さんがいるわ。

——いいんですよ彼女は。僕がいなくても幸せになれる人だ。でも奥さんは違う。僕が必要なんだ。

——同情してるの、あたしに。

——いや、愛してます。

——あたしは夫殺しの恐ろしい女よ。

——それは検事の言っていることです。奥さんがそんなことをするわけがない。無実ですよ。

——世間が何というと思う? やっぱりそうだ、亭主を殺して一緒になった恥知らずの男と女だって。

——世間が何です。僕たちは信じ合ってる。平気ですよ、根も葉もない中傷は。

彩子に下された判決は「無罪」だった。

*

幸田が理恵との婚約解消を上司に打ち明けたその日、幸田は彩子の「新居」に招かれた。保険金で借りた洒落たマンションで二人の再出発をワインで乾杯しようという無邪気に喜ぶ彩子に、幸田は戸惑いを隠せなかった。保険金で滝川の墓を建てるべきだと思っていたし、マンションに住まなくても幸福になれると考えていた。

——でも、ねえ、乾杯しましょうよ、ね? 注いで下さる?

——なんのための乾杯ですか。保険金のためですか。

——酷いわ。どうしてそんなにあたしをいじめるの。

——奥さんがあんまり無神経だからですよ。

——あなたは臆病ね。世間が怖いんだわ。世間の人に悪く言われるのが恐ろしいのよ。

——そんなことありませんよ。

——じゃあ、あたしを愛してないんだわ。愛してないからあたしをいじめるのよ。愛してたら喜んでくれるはずよ。やっと二人きりの地点に立ったんですもの。いいわ、あたし一人で乾杯するから。

——奥さんはわからないんですか、僕の気持ちが。

——あなたもあたしの気持ちがわからないじゃないの!

彩子のグラスを取り上げようと揉み合ううちに、割れたグラスが幸田の右手を傷つける。介抱する彩子。

——まあひどい血。痛いでしょ。
あの時もこの手から血が・・・あなたの苦しみが、まるで自分の苦しみのようにわかったの。あなたが悲鳴を上げる度に、あたしも悲鳴を上げたわ。
なのに滝川ったら、ますます体を強く振って、とても憎らしかった。自分勝手で、人の苦しみなんかどうだっていい、憎らしかったわ。
このエゴイスト、夫なんか、死ねばいい・・・
あの時、本当にわかったわ。あたしが誰を愛しているか。あたしが愛しているのは、あなたよ。幸田さん、あなたなのよ。

——奥さん、あなたは滝川さんを殺したんですね。憎くて殺したんですね。やっぱり検事の言ったとおりだったんですね。
本当は有罪だったんですね。なぜ黙っていたんです!

——だってあなたがあたしを白い目で見ると思ったから、あたしを見捨てると思ったからよ!

——あなたは僕を騙した。僕だけじゃない、世間を騙し、裁判所も騙した。恐ろしい人だ。

——でもザイルを切らなかったらあなたが死んじゃう、あなただけは助けたかったのよ!

——助けてくれなければよかった。

——本当? 本当にそう思うの?

——奥さん、ここに居たくない。帰ります。

——帰らないで!ねえ、帰らないで!待って、待ってよ!あたしを独りにしないで!

*

幸田は上司に大阪への転勤を申し出た。明日は転勤というある雨の日、会社にいる幸田を彩子が訪れる。ずぶ濡れのままうつむいて立っている彩子の足元に雨だれがしたたり落ちている。だがそんなことも意に介さず、彩子は必死に幸田の心を引き止める。

——あなたが正しいことがわかったわ。保険金、ちゃんと全部残ってるわ。これからは、何もかもあなたのいう通りにするわ。
お願い、あたしを捨てないで。ねえ、こっち見て。
あたしって、そんな恐い女じゃないわ。弱い女よ。ただ、あなたを好きなだけ。あなたのために、なにもかも犠牲にしただけ。それだけよ。
結婚してくれなんて言わないわ。ただ、時々会って下さったら、半月に一度、ひと月に一度でいいの、二人きりで会って下さる?
イヤ? イヤなの? だったら一年に一度でいい、ねえお願い、二年に一度でも、三年に一度でも、お願い・・・

——奥さん、あなたは僕の命を救ってくれた。責める気は少しもない。だけどただ、たとえ僕のためでも、人を殺すなんて・・・人を殺す人間に人を愛することはできるんだろうか。やっぱり奥さんとはお別れした方がいい。

——待って!

 


 

人は誰でも、法廷のような規範の中で生きている。だが人が自らを規範に縛りつけていることを知るのは、規範の外に出たときだけである。増村保造は、情念が人を規範の外に押し出す力になると考えた。そしてその力は女性が持っていると考えた。男は、幸田がそうであるように、愛に溺れているときは「世間が何です」というが、ちょっとしたことでたやすく規範の中に回収されてしまう。

 

「妻は告白する」(増村保造監督・1961年大映)では、彩子を通じて世間からどう思われようとも愛を貫き通す意志、そのために何もかもを犠牲にし、規範の中にいる人からは恥知らずとも、犯罪者とも、気違いとも呼ばれうる人間像が描かれる。だが恥知らずであることが何だというのか。情念を解放することにこそ、規範の中にいるものが憧れてやまない「美」が現れるのではないのか。

 

増村保造若尾文子はそうした人間観を描いてきたが、その極致がこの作品といえよう。自分のようなものがいくら言葉を尽くそうが、若尾文子の激しい美しさを語り尽くすことはできまい。

 

だが情念を貫き通すことと、世俗的な幸福を追求することは時として二律背反であり、多くの場合悲劇を伴う。この記事では触れていない「妻は告白する」の結末もまた、その例に漏れない。

 

初めて出会ったとき、彩子は家の大工仕事をやってもらった礼に、幸田に一杯のウイスキーを差し出す。幸田は「奥さんもいかがですか」とグラスを差し出す。その一瞬ーー滝川から一度もされたことのないことをされて、ハッと驚く彩子の仕草に、彼女の結婚生活がいかに不幸なのかが全て表出されている。

 

そして無罪判決を勝ち取った彩子は、今度は瀟洒なマンションで幸田にワインを注ぐが、彩子の(世間的な尺度では)無神経さに苛立った幸田は拒否する。何かを飲むときに愛が始まり、飲むことを拒絶することで愛は終わる。そして愛を失った彩子の破滅もまた、かつて飲もうとして飲めなかったものを飲むことで訪れる。

 

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発禁本「美人乱舞」より 責める!

高校時代の倫理社会の授業は退屈で、覚えていることはほとんどないが、教科書の挿絵のニーチェの肖像画はいまも思い出すことができる。狂気の淵に沈んだ晩年の、ベッドから窓の外を眺めるかつての大哲学者の静謐な横顔をスケッチしたものであった。

 

「発禁本「美人乱舞」より 責める!」(田中登監督・1977年日活)の冒頭のシーン、縛られ天井から吊され、失禁を床にたらすヒロイン・タエ(宮下順子)に浮かぶ空虚な表情は、まさにそのニーチェの肖像を思わせるものがある。

 

*

 

大正15年、女房に逃げられたばかりの伊藤晴雨(山谷初男)*1と、夫に捨てられたばかりのカフェーの女給タエは、出会ってすぐに意気投合し共に暮らし始める。

「責め映えのある顔してやがる・・・」その当時既に著名な責め絵師であった晴雨は、タエのマゾヒストの性向を見抜いていた。その日から晴雨によるタエの調教が始まる。

 

タエは晴雨の前妻に嫉妬していた。

「こんなこともやったのね、前のカミさんと・・・」
「まだまだ、やらせてもらうぜ」
「あんたの気が済むまで・・・」
「かわいいこと言ってくれるじゃねえか」

珍しく雪の積もったある日。

「雪ね。きっとこんな日だったのね、あんたの前のカミさん雪責めにしたの。あたしも縛ってよ、前のカミさんの時みたいに」
「本気なのかい。始めたら途中でやめねえぜ」

雪責めーー雪の降り積もる中、襦袢一枚で歩き、氷の張った沼につからせ、木に縛りつける責めだ。唇を紫にして被虐に浸るタエ。

 

だが晴雨とタエの生活は永くは続かなかった。ある夜、タエは発作を起こして晴雨の画や写真を手当たり次第びりびりに引き裂く。タエを診た医師は先天性の脳梅毒だと言った。治る見込みはないと。

北陸の田舎からタエの母親が出てきて、変態行為のせいでタエが狂ったのだと晴雨を責めるが、治すあてもわからない。タエの母は、「憑きもの」を落とすためにもう一度彼女を責めてくれと懇願する。

井戸に漬ける。縛って吊す。「何の因果か。オラのか、お前のか・・・」

タエは一時正気を取り戻したように見えた。だがフラリと出かけて「豆腐を買いに行っていた」と言うタエの手の、買い物桶には生きた蛇が入っていた。

晴雨はタエの脳梅毒が妊娠中の母子感染によるものだという真実を告げる。母は失意のうちに晴雨の家を後にする。

 

晴雨は、今度は自らの意志でタエに被虐の悦びを思い出させるため、もう一度タエを縛り、ロウソクをたらす。だがもう、狂気の奥底に沈んだタエに苦悶の表情は浮かばない。焦点の合わない目でどこかを見ているだけであった。

やがてタエは息を引き取る。アトリエ=責め場に横たえられた彼女の遺体に並んで寝そべった晴雨は、はじめて自身のサディズムの原体験ーー少年の日に見た、きれいな着物の女が縛られ、髷を切られ、殺される見世物の幻想ーーを語って聞かせる。

 

遺体は焼かれ、晴雨はアトリエにひとりぼっちで佇んでいる。晴雨のモノローグがかぶる。

「あとになって、千載の好機を逃したと思ったね。せっかく死んでしまったものをそのまま棺桶に入れてしまったことでね。できることなら死体を色々な方法で縛って、あらゆる角度から撮影して・・・」

 

*

 

SMの映画だが、タエの病気が発覚してからの後半の展開には、「責め」からその遊戯性が失われ、彼女を狂気の彼方から呼び戻す治癒のための、「祈り」の行為として描かれる。だが無論、そのようなことでタエの母の、そして晴雨自身の願いが叶うはずもなく、タエの魂は既に闇に沈んでしまい、目に生気が戻ることはない。

晴雨はタエの遺体の側に横たわり、自らの人生を語りかけ、静かに涙を流す。ここに至って、晴雨とタエの間には間違いなく深い愛情が存在したことがわかる。肉体の責めを通じた心の交感が確かにあったのだ。

それは、晴雨が、焼く前に遺体を縛っておけばよかったと思い出す場面からも示唆される。緊縛画家の晴雨に縛ることをふと忘れさせたもの、それはタエを失った悲しみ故に他ならないだろう。

 

この作品は、タエがすでに狂気に陥ったところから語り起こされる。冒頭の宮下順子の虚ろな表情はショッキングであり、悲しくもあり、崇高でもある。

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*1:伊藤晴雨(1882-1961)は、戦前から戦後にかけて活躍した画家、演劇評論家。女性の緊縛画(責め絵)を得意とし、数多くの作品を残す。その生涯については http://smpedia.com/index.php? title=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%99%B4%E9%9B%A8 など参照。
この作品のヒロイン・タエは晴雨の3番目の妻とし子をモデルにしている

動脈列島

ただの脅しでないことは明らかだった。

東京行きの新幹線ひかり号のトイレから、ニトログリセリンを染み込ませた土とタイマー、それに国鉄総裁への脅迫状が発見された。脅迫状には、市街地での新幹線の減速運転、防音壁の設置、線路周辺の住宅地買い上げといった新幹線騒音公害の解決を直ちに実行しなければ10日後に走行中の新幹線を転覆すると記されていた。

国鉄(現在のJR)の通報を受けた警察庁は、犯罪科学研究所所長の滝川(田宮二郎)に犯人割り出しと犯行阻止を命じる。犯罪心理学の専門家である滝川は、脅迫状から犯人像をプロファイリングし、二年前に新幹線が発する騒音・振動と沿線住民の疾病の関係を指摘する研究報告を執筆した研修医の秋山(近藤正臣)を犯人と断定し、その行方を追う。

だが秋山はどこに潜伏し、どのような手口で新幹線を転覆するのかはまったくわからない。滝川はあえて秋山を指名手配して沿線に厳戒態勢を引き、国鉄は犯罪者に屈服はしない、とあえて新幹線運行を強行する。

 

*

 

1975年9月6日に公開された「動脈列島」(増村保造監督・1975年東宝)は、同年7月5日公開の「新幹線大爆破」(佐藤純彌監督・1975年東映)との競作だが、現在の評価では、残念ながら前者は知名度の点で後者に劣る。

競作が生まれた背景には、この年山陽新幹線が全面開通し、東京から本州を西に貫く大動脈が完成したという事情がある。だが国と国鉄は、1959年の東海道着工以来完成を急ぐあまり、沿線住民への影響ををなおざりにしてきたという深刻な問題も抱えていた。そこに光をあてたのが「動脈列島」である。

とはいえいずれもサスペンス映画であり、どちらが娯楽としてよく出来ているかと言えば「新幹線大爆破」の方だと答えなければならない。一方に豊富で他方に足りないものははっきりしている。熱さだ。それをもっとも体現しているのが「新幹線大爆破」で宇津井健演じる新幹線運行管制室長である。爆弾のために止まれなくなった新幹線の事故を未然に防ぎ、乗客の家族を悲しませないこと、そのために自らの職務に必死に知恵を絞り、全力を尽くすこと、それが彼の信念であり正義であった。そしてそれが犯人確保を優先する警察の論理と衝突し、国鉄上層部が警察の方針に折れた時、彼は潔く現場を去る。「動脈列島」の"敗因"を求めるとしたら、宇津井健をキャストに起用できなかったことに尽きる。宇津井健的な熱い正義漢は増村保造自身が「黒の報告書」(1963年大映)で見出しているにも拘わらず。

 

「動脈列島」は、医師としてその犠牲者に寄り添った経験から、公害対策に本腰を入れない国鉄への義憤という秋山の犯行動機に焦点を当てて描いている。物語の終盤、すでに全国指名手配された秋山は、大胆にも国鉄総裁(山村總)の自宅に侵入し、総裁との直談判にさえ及ぶが、結局は物別れに終わる。この時点で国鉄の累積赤字は既に1兆円を超え、被害者補償への充分な手当は不可能だったのだ。*1こうして秋山は、国鉄に対するたった一人の戦いに自らを追い込み、終始冷静な科学者刑事・滝川との頭脳戦のなかで包囲網を狭められてゆく。

 

秋山の側に寄り添った見方ーーそれは、公害問題のような大きな敵に対して個人は何ができるのか、それを物語としてどのように魅力的に作るか、ということだがーーに注目すると「動脈列島」と比すべきは手塚治虫が『ブラック・ジャック』に描いた1エピソード「震動」*2ではないかと思う。

 

*

 

新幹線の沿線の長屋に住むオヤジ「八つぁん」が、新幹線に投げた小石が跳ね返り、運悪くカミさんの腹に当たって大ケガを負わせる。出血がひどく、動かせる状態ではない。たまたま近くの居酒屋に居合わせたブラック・ジャックが妻を応急手術することになる。「あいつは高い手術代をふんだくるヤミ医者だ」という八つぁんの仲間の忠告に、ブラック・ジャック国鉄から賠償金をせしめればいいと宣言する。

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しかし、いざ手術を始めると、新幹線の起こす震動のために動脈の縫合が出来ない。しかも新幹線は3分おきに通過する。これでは手術は続行不可能だ。

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八つぁんは無我夢中で国鉄に電話し、電話に出た偉い人に「うちのかあちゃんを殺さないでくれ」とオイオイ泣きながら懇願する。すると奇跡が起きる。国鉄は手術が終わるまで新幹線を緊急停止させた。ブラック・ジャックは血管縫合手術を無事終わらせ、八つぁんに妻をすぐ入院して輸血させるよう指示する。

国鉄もアジなことするじゃねえか」と安堵する八つぁんを、ブラック・ジャックは「そんなことより国鉄からゴッテリ見舞金をふんだくることを考えろ」と叱咤する。

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*

 

少年漫画のご都合主義的側面があるのは仕方ないが、「震動」は「動脈列島」と同じ視点を持ちながら、ブラック・ジャックと八つぁんがたった一人の患者を救うために新幹線を停めてしまう、という、より娯楽性を高めた小品に出来上がっている。この作品には明らかに熱さがあり、国鉄にひと泡吹かせる爽快感があり、「ブラック・ジャック」ではお馴染みの照れくさいヒューマニズムがある。「動脈列島」が目指すべきだった地点はここだったのではないかと思う。

 

蛇足ながら「動脈列島」の冒頭、爆弾が隠されたトイレの水洗が流れないと車掌に文句を言う大阪弁の女役で、芹明香が出演している。芹明香にトイレを使わせるなら、どうして放尿シーンを撮らなかったのかという気もするが、東宝の映画にそれは無理だろう。

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*1:国鉄の累積赤字問題はのちに中曽根内閣の行政改革の焦点とされ、87年の国鉄分割・民営化=JR各社の発足へと繋がってゆく。

*2:週刊少年チャンピオン1976年9月6日号掲載、講談社手塚治虫文庫全集 ブラック・ジャック(7)』所収。画像は同書による